復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉10月21日「24日から夜間制限給水、水事情が悪化」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」した1972年10月21日の琉球新報1面トップは、「ルバング島(比国)に元日本兵/稲に放火、見つかり撃ち合う/現地警察隊が射殺/1人は負傷山中へ/元日本陸軍の戦闘帽もかぶる」との見出しで、フィリピンのルバング島で元日本兵が発見され銃撃戦となったと伝えている。2人は日本陸軍の小野田寛郎元少尉と小塚金七元一等兵とみられている。

 数カ月間の少雨傾向を受けて「24日から夜間制限給水/11時~朝5時/水事情が悪化」との見出しで、水道事業を展開する県企業局が給水制限を実施する方針であることを伝えている。記事では県企業局の担当所長の話として「8、9、10の3カ月は、とくに雨量が少なく河川、地下水、わき水の水量がガタ落ちだ。そのため、逆に非常用の貯水ダムからの送水量がふえる傾向だ。そこで県企業局の貯水ダム推量は極端に減水、445万6400トンの収容能力を持つ貯水ダムの推量は、72.1%に落ちた」と紹介している。

 このほか「県案策定作業大詰め/振興開発計画」や「又吉豊見城村長を派遣/革新市町村長会/ハイフォン市長の招請」、「きょう国際反戦デー/大会後、自衛隊基地にデモ」などの県内ニュースも掲載している。

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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。