復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉10月22日「致死性毒ガス、県内に依然貯蔵」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」した1972年10月22日の琉球新報1面トップは、「〝反自衛隊闘争を全国に〟/国際反戦デー、県下4会場で決起大会/県民感情無視に怒り/国道331号にすわり込む」との見出しで、21日の国際反戦デーに際しての沖縄県内での集会の様子を伝えている。さらには国際的な状況も踏まえながら、自衛隊配備、軍実基地反対を訴えながらデモ行進する様子を紹介している。

 「致死性毒ガス、県内に依然貯蔵/人民党が発表/米軍文書で明るみに」との見出しで、人民党の瀬長亀次郎衆院議員が会見で明らかにしている様子を紹介している。関連で「毒ガスは貯蔵せず/米大使館が反論」と米国側の方針を紹介している。

 

 

 

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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。