復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉10月23日「知花弾薬庫に『核兵器』/公明党が発表」―琉球新報アーカイブから―


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 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」した1972年10月23日の琉球新報1面トップは、「知花弾薬庫に『核兵器』/公明党が基地調査発表/〝貯蔵の疑い濃い〟/『放射線地域』の表示も」との見出しで、公明党の在日米軍基地総点検の結果を掲載している。記事では公明党の根拠として「①建て物の表示T1111Aはかつてナイキ基地に表示されていたのと同じである②建て物は復帰後に建てられたものである③地下壕の北側に『警告、高度な放射線地域、立ち入るな』の表示板があり、この表示版は他地域には一切ない」ことなどを挙げている。

 さらに記事では証言情報も掲載しており「復帰直線、日米数人が米本国で核兵器の火災防止訓練を受けたとの確かな情報がある」との公明党の話も掲載している。さらに「この情報とともに同党が入手した『米琉球諸島消防局パンフレットNO6』(米陸軍技術者サービスグループ発行)が、この火災防止訓練のテキストだといわれ、このパンフレットの冒頭の序に『航空機や船舶が沖縄の空や沿岸をはげしく航行しており、その中には核物質を輸送しているものもあり、沖縄に立ち寄る可能性もある。それゆえに、これらの核物質を含む火災をいかに消火するか、いくつかの参考を与える』と述べられていることも、沖縄に核が搬出入されている傍証だとしている」と記している。

 さらにこの記事中では、核貯蔵疑惑のほか「同党の今回の基地点検で復帰前と全く変わらない不当、不合理な標識が822枚もあることがわかった。最も多いのは『米軍政府用地』の表示で662枚、撮影、筆記、描写などを禁じたもの68枚、ノーストッピング62枚、軍用犬地域と立ち入り禁止20枚となっている。なかでもひどいのは『近寄ると発砲されることがあります』(読谷村楚辺通信施設)や『当地域100メートル以内に立ち入るか近づくと罰せられます』(豊見城瀬長島の那覇海軍補助施設)などだという」とも記している。

 関連して米側の説明を掲載している。「X線の検査施設/米側説明」との見出しで、外務省が在日米大使館に照会した回答として「公明党の指摘した施設は工業用エキス線検査機を備えた弾薬、信管の検査室であり、核物質の貯蔵施設ではない」と紹介している。

 このほか、鹿児島県で始まった国体体育大会秋季大会の様子を紹介した記事には「鹿児島国体、華やかに開幕/1万7千人が入場行進/46番目、晴れの〝沖縄県〟」との見出しを冠している。 

 

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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。