【勝因・敗因】効果的だった知念陣営の戦略、翁長陣営は態勢構築に遅れ<那覇市長選>


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当選が確実となり、支持者らと万歳する知念覚氏(中央)=23日午後10時56分、那覇市牧志(小川昌宏撮影)

 那覇市長選で当選した知念覚氏は、自公中心の選対本部と後援会事務所という二つの拠点で選挙戦を展開した。自公支持層を固めつつ、後援会が「市民党」をアピールして幅広い層の票を取り込むという2本柱の戦略が奏功した。

 自民の候補者選考委員会が知念氏の擁立を決めたのは8月下旬。翁長雄志前知事の次男で、自身も2度選挙を経験した相手候補の翁長雄治氏に比べ、知念氏の知名度は低かった。だが選対本部は大量のちらしを配布し、他市の議員らも動員して企業回り、地域回りを徹底させた。組織力を生かし、短期間で知名度を高めることに成功した。

 コロナ禍で経済や市民生活が打撃を受ける中、経験と実績を強調し「即戦力だ」と訴える戦略も効果的だった。「オール沖縄」勢力の支援を受けて当選した現職の城間幹子市長が、オール沖縄側ではなく知念氏の支持を表明したことで副市長としての実績を強くアピールすることに成功した。

 翁長陣営は、オール沖縄の一翼を担ってきた城間市長ら保守系グループが知念氏の支援に回ったことが痛手となった。

 知念氏は当初、オール沖縄側からも出馬に期待論があった。知念氏が自民の支援を受けて立候補するのを見極めてからの翁長氏の出馬表明となり、選挙態勢の構築が遅れたことも尾を引いた。

 県知事選で大勝した玉城デニー知事が選対本部長として全面的に支援したが、知事選の疲れから支持層の運動量も相手に後れを取った。35歳という若さや市議、県議を1期途中で辞めたことなどに対する相手陣営からの批判をはね返せなかった。
 (伊佐尚記、知念征尚)