復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉10月26日「ベトナム和平成立後も基地機能変わらず/嘉手納空軍報道部長」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」した1972年10月26日の琉球新報1面トップは、「沖縄振興開発審が初会合/知事原案など検討へ/基地の転用が焦点に/来月、現地を実情調査」との見出しで、中央政府による沖縄振興開発計画を審議する審議会の初会合が首相官邸で開かれたとの記事を掲載している。会には田中角栄首相が出席し「多年にわたる沖縄県民の労苦に報いるためにも、沖縄のもつ各種の不利な条件を克服し、その地理的、自然的特性を生かし振興開発策を樹立し、明るく豊かで、平和な沖縄県の建設をはかる必要がある」とあいさつしたことも紹介している。

 ベトナム和平会談の進行に関連して「ベトナム和平後成立も/基地機能変わらず/〝MC1は摸擬爆弾〟」との見出しで、嘉手納基地報道部長のジョーダン中佐の非公式な発言として「たとえ、ベトナム和平が成立しても、嘉手納基地の規模は従来のレベルと変わらず、したがって、機能の変化もみられないだろう」と紹介している。

 さらには「同中佐は、嘉手納基地が第824戦闘支援大隊を中心に補給、整備など西太平洋上空で展開されている軍事作戦を支援する任務を帯びていることをあげ、ベトナムも任務の一部分にしかすぎないことを強調している。従って、ベトナム戦の終結によって、嘉手納基地に変化が生じることは、あり得ないだろう」との発言も紹介している。

 

 

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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。