復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉10月31日「田中首相、B52飛来拒否できぬ」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」した1972年10月31日の琉球新報1面トップは、「県議会、B52・毒ガスで意見書/基地の総点検迫る/核の有無も明確に/強力な対米折衝要求/きょう超党派代表団派遣」との見出しで、復帰後も変わらない沖縄の基地負担の状況に県議会が超党派で中央政府に見直しを求めることになったと伝えている。

 これに対し、中央政府の姿勢として「B52飛来、拒否できぬ/田中首相/安保堅持で高姿勢」との見出しで、田中角栄首相の衆院本会議の代表質問への答弁内容を紹介している。記事で田中首相は「国力、国情に応じた防衛力を保持することは必要だ。わが国の安全保障には安保条約は不可欠」と強調した上で「B52の飛来は条約上、拒否することはできない」と従来政府方針を重ねたという。

 このほか、社大党の臨時大会の様子を紹介する記事では「政治革新めざす/中央権力隷属に対決」との見出しで、臨時党大会での党の基本方針を伝えている。

 その隣には、11月の那覇市長選に向けて「必勝の決意で闘う/革新共闘/那覇市長選で決起大会」との関連記事も載せている。

 

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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。