復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉11月3日「B52人道上拒否できない」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」した1972年11月3日の琉球新報1面トップは、「『B52人道上拒否できない』/基地点検もあり得ない/法眼事務次官/また高姿勢の発言」との見出しで、B52米戦略爆撃機の沖縄飛来阻止などを求める県議会代表団の要請に対し、外務省の法眼晋作事務次官の応対ぶりを紹介している。法眼次官はB52の再飛来阻止要求に対しては「台風避難で飛来するB52は、人道上来るなとは言えないのではないか」と述べたと紹介し、その発言内容について記事で「〝県民感情〟を逆なでするような発言」と指摘している。

 さらに法眼次官は、米軍基地の総点検要求について「外国の軍隊が駐留する地域に対し、これを立ち入り点検することは外交上また常識からしてもあり得ない」と応対したことも伝えている。

 国会の論戦を紹介する記事では「台湾へ米軍出動も/『解散』控え激しい応酬」との見出しで伝えている。衆院予算委員会で公明党の矢野絢也議員が「万一台湾地域に武力紛争が発生した場合、安保条約で在日米軍の出動を認めることは中国に対する内政干渉ではないか」とただしたのに対し、大平正芳外相が「安保条約の極東条項は維持し、在日米軍の出動については国益を踏まえ、自主的に判断する」と答弁したと紹介している。

 航空自衛隊の3等空曹が那覇市内で婦女暴行未遂事件を起こした問題で「懲戒免職/上官3人は訓戒、戒告」との見出しで、空自の処分発表内容を紹介している。

 

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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。