島々歩き、民謡を採譜 杉本信夫さんを悼む 比嘉悦子・民族音楽研究家


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
杉本信夫さん=2006年、糸満市の自宅

 2日の夜、杉本信夫さん逝去の知らせがLINEに届いた。1日の夕方に息を引き取られたようで、2日は私の講義日に当たり、携帯を終日消音モードにしていて知らせのLINEを見ることもできなかった。ショックというよりも、あの優しい笑顔、たくさんの思い出が走馬灯のように頭をめぐって、何とも言えない喪失感に襲われている。

 私は杉本信夫さんという方を、新日本出版社から出版された『沖縄の民謡』(1974年)で知った。復帰前に東京からパスポートを使いながら何度も沖縄を訪ね、これだけの民謡、わらべ歌を採集して譜面化した人がいたのだということを知り、驚きと畏敬の念に覆われた。77年にハワイから沖縄に戻った私は、いざこれから本格的な民謡調査を始めようとしている時だった。

 78年、東京で開催された東洋音楽学会で初めてお会いし、その後杉本さんが調査で沖縄に訪れるたびに調査のお話、民謡を歌ってくれる沖縄のおじー、おばーのさまざまなエピソードを聞いて楽しい時を過ごした。

 杉本さんの業績は、この限られた紙面では紹介しきれない。80年ごろ、ついに沖縄に移住した杉本さんは生涯を通して宮古、八重山はもちろん、沖縄本島周辺の小さな島々をくまなく歩き、たくさんの歌を採集した。それら採集した各地の神歌、民謡、わらべ歌を五線譜で記し、鹿児島短期大学附属南日本文化研究所紀要、沖縄国際大学南島文化研究所紀要、沖縄県立大学紀要などに報告している。

 忘れてはいけないのは、杉本さんが作曲家であること。数多くの作品を残し、私も彼の歌曲作品を歌わせていただいた。晩年は採集した民謡やわらべ歌の旋律をもとに、ピアノ曲集「琉球わらべうた万華鏡」というタイトルで千曲の作品を残している。2006年に第23回東恩納寛淳賞受賞、10年に第54回沖縄タイムス文化賞を受賞。

 私たちは親しみを込めて「信夫さん、信夫さん」と呼んでいたが、信夫さんには御座楽の復元研究にも関わっていただいた。偉大なる信夫さんへ感謝と心からのお礼を申し述べたい。

(民族音楽研究家)

   ◇    ◇

 杉本信夫さんは1日、糸満市内で死去。88歳。告別式は5日午後1時から1時半、豊見城市のセレモニーホールとみしろで開かれる。