復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉10月30日「殺人機B52の飛来許さず」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」した1972年10月30日の琉球新報1面トップは、「殺人機B52の飛来許さず/生活破壊に抗議/復帰協の総決起大会/侵略政策を糾弾」との見出しで、B52米戦略爆撃機の嘉手納基地への大量飛来を受けて嘉手納村水釜の埋め立て地で開かれた抗議大会の様子を伝えている。

 関連で「B52全機が退去/一時、『離陸失敗』の事故も」との見出しで、嘉手納基地に飛来していた103機のうち28日に全機離陸する予定だったとの発表にもかかわらず残っていた機体が29日未明から朝にかけて離陸して全機が退去したことを伝えている。

 「きょうB52、毒ガスで意見書/県議会」との見出しで、B52退去飛来阻止や毒ガス、核の存否などについて本土政府に強い対米交渉を求める意見書を議決したことを紹介している。

 

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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。