1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。
![](https://ryukyushimpo.jp/tachyon/legacy/002/202211/1f63cd5e4d12442a8ac53f4bc985c1a7.jpg)
日本「復帰」した1972年11月8日の琉球新報1面トップは、「やはり残っていたCS(催涙)ガス/知花弾薬庫で作業中ガスもれ/重機、土中の袋破る/日本人従業員被害/米軍司令部が発表」との見出しで、知花弾薬庫近くで日本人従業員が催涙ガスの影響を受けたと米軍発表が明らかにしたことを伝えている。
関連で「立ち入り検査/米側に要求せず/首相〝アメリカを信頼せよ〟」との見出しで、日本政府の見解を紹介。加えて同じ記事で、沖縄本島中部の米軍知花弾薬庫の日本人従業者が健康状況を損ねている情報も伝えている。
さらに立ち入り検査は「米側に溶融せず/首相〝アメリカを信用せよ〟との見出しで解説記事も掲載している。
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5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。