厚生労働省が11日に発表した「現代の名工」に、三線工歴55年の又吉章盛さん(81)=うるま市=が選ばれた。「三線は音が命」を信条に、理想の音色を目指して試行錯誤を続けている。
幼少期から三線工房に足しげく通い、職人の技に見入った。「見よう見まねで作ったカンカラ三線を大人に渡すと大喜びするんだ。その顔を見たらうれしくて、どんどん作る。それから三線一筋だ」と振り返る。
独学で三線を作っていたが、職人として生きると決めたのは20代後半。技術を学ぼうと、沖縄市泡瀬の名工・稲福具永氏の門をたたいた。「(三線工は)金にならないからやめておけ」と何度も断られたが「納得のいく名器を作りたい」と懇願し、弟子入り。「チャングヮー与那型」の技法を学んだ。
その後も、真壁型や知念大工型など三線の基本七型の技法を習得しようと、各種型の名工に師事して修行を積んだ。1970年に独立して「又吉三線店」を開業した。「寝ても覚めても三線のことを考えている。いくら作っても楽しくて。三線作りは僕の人生そのものだ」と目を細める。
伝統を守りながらも、理想の音色を目指して新たな技法を探求してきた。材木と蛇皮の目利きをはじめ、三線の棹と胴の接続部分「爪裏」を浅く削り、できる限り隙間をなくして接続部分を密着させて音の伝達力を高めている。「僕の三線は音にエコーがかかる」と胸を張る。腕を買われ、1995年に奄美博物館の依頼で基本七型を一人で製作して納めた。
三線琉球古典音楽野村流音楽協会師範の顔も合わせ持ち、地域で三線製作と演奏指導をしている。「本当に良い音を知るには弾けないと意味がない。三線の魅力を伝え、後継者を育てたい」と語る。
今回、県内で初めて三線工が「現代の名工」に選ばれた。又吉さんは、演奏家を支える職人にも光が当たり、若い職人がなりわいとして暮らしていける環境を目指している。「三線は沖縄の心。職人が手を取りあって学び合い、技術を高め、三線業界を発展させたい。授賞がその一石になればうれしい」と述べた。
(赤嶺玲子、写真も)