戦後の看護教育、学校給食の提供…うちなー女性の道を切り開く 復帰50年でパネル討議


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 一般社団法人県女性の翼(奥村啓子会長)は5日、恩納村のリザンシーパークホテル谷茶ベイで復帰50周年記念特別企画「沖縄(うちなー)女性の歩んだ道」と題してパネル討議を開いた。戦後沖縄の経済界、行政、政治、看護の分野で実績を残し、道を切り開いてきた女性4人が登壇し、活動の足跡を振り返った。後輩の女性に向けて登壇者は「挑戦に年齢は関係ない。やりたいときに積極的に取り組んで」などとエールを送った。パネル討議に先立ち、俳優でライフコーディネーターの浜美枝さんが「私と沖縄の50年」と題して講演した。

県女性の翼の海外国内セミナーで、「沖縄女性の歩んだ道」をテーマに講話し意見交換する女性たち=5日、恩納村のリザンシーパークホテル谷茶ベイ

 特別企画は女性の翼の研修会の一環で行われ、会員ら約170人が耳を傾けた。

 パネル討議で講話したのは、戦後の看護教育に尽力し保健行政の礎を築いた元県看護協会会長の大嶺千枝子さん(83)、学校給食の提供や食堂を運営するオーディフホールディングス会長の普天間初子さん(81)、元県出納長の新垣幸子さん(78)、元県議会議員の山城ヒロ子さん(78)。司会は女性の翼の副会長の崎原末子さん。

 大嶺さんは戦後沖縄の看護体制をひもとき「米国民政府(USCAR)による看護布令と先輩看護師の努力で、大学と連携した先駆的な看護教育が行われてきた」と振り返った。来場者から「後輩へ贈りたい言葉は」と問われ「部下の潜在能力を認めて掘り起こし、職業の発展につなげることが大切」と励ました。

「沖縄と私の50年」と題して講演する浜美枝さん

 普天間さんは起業して43年。幾たびも困難にあったが、東日本大震災に伴う原発事故で食の安全に関心が高まる中、給食の食材への問い合わせに追われた。「風評被害もあり窓口を一本化し栄養士が対応した」と言う。折れそうな心を支えたのは、医師で作家の鎌田實さんとの交流。チェルノブイリ原発事故の救援活動に参加した経験のある鎌田さんから助言をもらい、乗り切った。「食を通した出会いで今の私がある」と実感を込めた。

 新垣さんは県職員時代に送迎バスに園児が取り残され死亡する事案、障がいのある子と親が孤立している家庭に遭遇した。福祉分野の経験が長く「子どもは平和の宝」という思いで業務に当たった。出納長をへて県信用保証協会会長に着任。女性は県内初、全国でも初めてと言われプレッシャーに押しつぶされそうだったという。経験を踏まえ後進に「振られた役職は臆することなく引き受けて」と言葉を届けた。

 山城さんは企業で約32年働き、市議会議員をへて石垣選出の県議を2期務めた。「政治は生活そのものだ。女性の強みは本質的部分に迫ることができるところ」と強調。後輩たちには「声がかかった時がチャンス。周囲の理解を得て挑んでほしい」と呼び掛けた。

 パネル討議に先立ち講演した俳優の浜美枝さんは、人間国宝で「読谷山花織」の伝承者である故与那嶺貞さんとの親交を踏まえ、貞さんから贈られた「女の人生はもつれた糸をほぐすこと」という言葉を紹介した。女性ならではの困難はあるが「根気強くほぐせば1本の糸になる。そのためには辛抱と優しさ、希望も兼ね備えていなければ。それを持ち合わせているのが女性の翼をはじめ沖縄の女性たち」と語った。
 (高江洲洋子)