【宜野湾】第3次普天間爆音訴訟団の幹事に26歳で最年少の女性=宜野湾市出身=が加わった。原告の書類受け付けや定例会の準備などの業務をこなす。3次からは原告としても闘っている。「正しい歴史認識の継承や若い世代とのつながりをつくる存在となれたらうれしい」と前を見据える。
市内出身の両親の下で、小中高校と市内の学校に通った。米軍機の騒音による授業中断、家で音楽を聴いている時や会話中の一時中断は日常だった。「当たり前過ぎて基地の存在を不快に思うことはなかった」
訴訟団のことを知るようになったのは、訴訟団で手伝いをしていた友人に声をかけられたのがきっかけ。原告の提出書類の手伝いをする傍らで、訴訟への思いを聞く機会が増えていった。涙を流しながら沖縄戦体験を語る原告の話では、思わず一緒に泣いてしまうこともあった。「当たり前の日常はなんて恐ろしい環境だったのだろうか…」。基地の存在を強く意識するようになった。
そんな中、昨年末に訴訟団の役員から幹事への誘いを受け「自分自身ももっと学びたい。若い世代への架け橋になれるならば」と決めた。幹事となって間もなく、うわさを聞きつけた仕事関係者から「引っ越せばいいだけの話なのに、わざわざ自分たちで基地の周囲に住みついて文句を言うのは違うんじゃない」と心ない言葉を言われた。歴史背景を知らない誤った理解で語られることへの怒りや悲しさで胸が苦しくなった。「正しい歴史や理不尽な環境への理解を広めていきたい」。思いはさらに強くなった。
ことしの夏に東京大学の学生が騒音環境などを学びに来沖した際は、ほかの幹事と共に同行した。18日に同大の学園祭で開かれる爆音に関する模擬裁判には、爆音訴訟団幹事の代表として見学に行く。
これまで「大して気にならなかった騒音」は現在、大きく耳に響くという。「県内外の若い世代が、この問題をどう捉えどう考えるのか議論していける環境をつくっていきたい」
(新垣若菜)