1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。
日本「復帰」した1972年12月7日の琉球新報1面トップは、10日投票の衆院選に向けて「衆院選〝3日戦争〟に突入/8候補とも背水の陣/中、北部で新人が善戦」との見出しで伝えている。
囲み記事の「選挙レーダー」では、「経済界も〝分裂〟して…」との見出しで、候補支持をめぐって分裂した経済界の動向を紹介している。
戦後の講和前に米軍人や軍属から受けた人的被害で米軍の補償もれについて「458万円支払う/防衛施設庁/115件のうち8件に」との見出しで、日本政府側が補償を始めたことを伝えている。記事では「米軍が補償したものからもれたものに対する補償は被害者の強い要求にもかかわらずこれまで全く補償措置がとられず、泣き寝入りの状態だった」と紹介。今回の措置は「復帰前から『講和前人身傷害未補償者連盟』(川野長八郎会長)が講和前に米軍、軍属によって被害を受けた県民のうち補償もれの人たちに呼びかけ補償要求運動を起こしていた結果、ようやく実現したもので、補償の第一号」と解説している。
復帰を境に米軍が基地従業員を大量解雇し全軍労などが抗議して、その抗議でハチマキ闘争したことを巡っても問題になっているが「また82人解雇/米軍」との見出しで、海兵隊関係従業員の解雇予告があったと伝えている。
復帰に伴う自衛隊の沖縄配備で那覇市が自衛隊員の住民登録を拒否する方針を出したことに「不服審査申し立ても/自治省/自衛隊員の住民登録拒否で」との見出しで、政府側が対抗措置も視野に入れた反発が出ていると掲載している。
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5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。