復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉12月9日「臨海工業型を目指す/沖縄振興開発審/基地撤去は付帯決議に」―琉球新報アーカイブから―


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 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」した1972年12月9日の琉球新報1面トップは、「総選挙あす投票/那覇で激しい攻防戦/選挙運動もきょうまで」との見出しで、衆院選終盤の沖縄県内の状況を伝えている。関連で「浮動票獲得に懸命/各党、全力の追い込み」と、全国の動向も紹介している。別の関連記事では「あす裁判官の国民審査も/一部が投票返上運動」との見出しで、最高裁判所裁判官の国民審査の投票にも触れている。

 選挙の裏側を伝える「選挙レーダー」は「各参謀の目も血走る」との見出しで各陣営の戦術を紹介している。

 国で審議中の沖縄振興開発計画の内容について「臨海工業型を目指す/沖縄振興開発審/基地撤去は付帯決議に」と、政府への答申案の概要を紹介している。

 

 

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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。