戦争をしない国の姿重ね 竜宮城を想う 菅原文子さんコラム<美と宝の島を愛し>


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 沖縄署巡査の警棒が当たり、バイクで走っていた男子高校生が失明した事件の調査結果が出た。年を越さずに調査の結論が出たことは、被害者・加害者双方にとって望ましいことだろう。時間は元には戻らないが、生き直しはできる。若い2人がそれぞれの希望を見つけるのに、早いに越したことはない。

 銃と警棒を持ち、住民の安全を守ることは、社会の信頼なくして成り立たない厳しい任務だ。過失、故意を問わず、失明させた責任は免れないが、若い時には誰でも間違いや過ちはあり、そこから立ち直る経験を繰り返して一人前になる。

 この年になってもまだ愚行で冷や汗をかくことがある。農業ハウス内に人がいることに気が付かず、ハウスの施錠をしてしまったのだ。閉じ込められた男性は力があったので、ハウスの二枚戸を思いっきり押して脱出した。彼には平謝りしたが、確認しなかった私のミスだ。愚かな自分を省みれば、若い警察官の再起に、社会の温かいまなざしを望みたい。彼が障がいを持つ人に優しい警察官に成長し、社会人になった被害者と再会し、互いに励まし合う仲になったら、どんなに素晴らしいだろう。若い人たちを愛して育てれば、信頼に応えてくれる。沖縄県人の温かな人情が、それを可能にするはずだ。

 昨年末、小笠原諸島の海底火山から出た大量の軽石がはるか沖縄まで流れ着き、漁業に被害が出た。その軽石は黒潮に乗り、今度は向きを変えて本土の太平洋岸に戻ってきた。このスケールの大きい軽石の旅をニュースで見て、浦島太郎は、軽石に押し流される亀と共に漂流し、琉球すなわち竜宮城に漂着したのではないか、と想像を楽しんだ。琉球と竜宮は音も似ている。私が想像する物語はこうである。琉球人の人情に助けられた漁民浦島太郎は居心地が良すぎ、故郷のことも忘れ、つい長逗留(とうりゅう)してしまった。歳月がたち成長した浦島太郎は、故郷に残した父母がにわかに心配になり、今年の黒潮の流れは戻るには絶好だと、故郷に帰ることを告げた。

 乙姫様は別れを惜しみつつ土産に玉手箱をくれ、開けてはならないと戒めた。浦島太郎が村の小さな漁港に帰り着くと、すっかり様子が変わり知る人もいない。村人が周りに集まり誰かと問う。名を名乗ると顔を見合わせ、漁に出たきり戻らなかったので親たちも悲しんでとっくに亡くなったと告げられた。浦島太郎は後悔の思いとこれから先の不安がこみ上げ、つい玉手箱を開けてしまった。白い煙、と思ったら中の鏡に映るじいさんの白髪。自分はまだ若いと思い込んでいたが、竜宮城で楽しく暮らした歳月がこれほど長かったのか。

 「高齢者」と言う名で老人が肩身の狭い思いをする今とは違い、浦島じいさんは村のたくさんの子どもたちに囲まれ、竜宮城の美しさ、乙姫様の優しさ、南の海の話など珍しい話をたくさん語って聞かせ、幸せな余生を送ったそうだ。

 過ぎしバブル期、日本人は竜宮城で楽しく暮らした浦島太郎状態だった。開けてはならない玉手箱も開け、あれほどあった年金資金が煙のように消えた。だが待てよ、もしこの国が戦争をしない国であり続けるなら、それが世界から見た21世紀の竜宮城かもしれない。

(本紙客員コラムニスト、辺野古基金共同代表)