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宗教と国家 人間の内面干渉に危機感<佐藤優のウチナー評論>


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佐藤優氏

 世界平和統一家庭連合(旧統一教会)問題で、悪質な寄付勧誘規制を柱とした被害者救済法が8日に衆院本会議で可決、10日に参院本会議で可決、成立した。宗教団体に限らず企業、労働組合、NPO、学校などの法人もしくは団体が違法行為を行った場合は法的責任を、違法ではなくとも社会通念から著しく逸脱した行為を行った場合は社会的責任を負わなくてはならない。しかし、この法律ができる過程の国会審議と世論の動向を見ていると嫌な感じがする。旧統一教会の違法行為や社会通念に反する行動のみならず、宗教を信じる人々を蔑視し、やゆする雰囲気が感じられるからだ。

 筆者は日本基督教団(日本におけるプロテスタント教会の最大教派)に属するキリスト教徒だ。キリスト教はカトリックであれプロテスタントであれ正教であれ、生殖行為を経ずに生まれたイエスという男性が十字架に掛けられて死に、葬られたが3日後に復活したと信じる。こういうことは自然科学的にあり得ない。

 被害者救済法にマインドコントロール規定が入らなかったことを批判する論者もいるが、こんな規定が入らずに筆者はほっとしている。ある意味、キリスト教徒は全員、処女降誕、死者の復活というマインドコントロール下にある人々だからだ。

 霊感についても、それをどう定義するかは沖縄社会にも直接関係している。ユタが行うハンジ(吉凶判断)が霊感に基づくものだからだ。あるいはマブイグミはどうだろうか。われわれ沖縄人が伝統的に持っていて、目には見えなくても確実に存在する事柄が規制される可能性が潜在的に生じているのだ。国家が宗教信条や思想など人間の内面に干渉することに国民がもっと敏感になる必要がある。

 宗教を信じる人には二つの類型がある。第1類型は、病気治癒、安産祈願、合格祈願、商売繁盛など人間の欲求の充足を満たすために宗教を活用する人々だ。瞑想(めいそう)で心の安定という欲求を満たそうとする人々もこの類型に含まれる。

 第2類型は、宗教的価値観が生活と仕事の全てを律すると考える人々だ。この人々から政治を宗教的実践の対象から切り離すことはできない。仏所護念会教団、立正佼成会、創価学会など政治に関与する教団はいずれも第2類型に属する。

 筆者は宗教改革者のヤン・フスやジャン・カルバンの影響を強く受けており、同志社大学神学部と大学院で組織神学(キリスト教の理論)を研究した経緯があるため第2類型の宗教観を持っている。常にイエス・キリストに忠実に生きてきたつもりだ。

 大学院修了後、牧師やキリスト教主義学校の聖書科の教員にならずに外交官になったことも、2002年に鈴木宗男事件に連座して東京地検特捜部に逮捕されたときに検察の筋書きを飲まずに筋を通したことも、作家になってから自分のルーツを見直し沖縄人のアイデンティティーを基盤に生きていくようになったことも、ウクライナ戦争に関して論壇の主流派と異なる即時停戦論を展開している根底にも筆者のキリスト教信仰がある。筆者にとって現下日本の論壇はとても息苦しい環境だが、信念に従って言論活動を続けようと思っている。

(作家・元外務省主任分析官)