復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉12月29日「自衛官登録、知事意思表示せず」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」した1972年12月29日の琉球新報1面トップは、「パレスチナゲリラ/バンコクの大使館占拠/岡本らの釈放要求/書記官夫妻ら5人人質/〝きょう移送、拒否すれば行動〟」との見出しで、パレスチナゲリラがバンコクのイスラエル大使館に侵入し、書記官夫妻らを人質に取り、日本の岡本公三氏らを含む36人のゲリラの釈放を要求しているとの記事を掲載している。

 関連記事では「36人釈放を/ゲリラ側、要求書を発表」と、大使館占拠のゲリラ側の主張を紹介している。別記事では日本国内の動きとして「在日大使館を警戒/警視庁」との見出しで日本国内でイスラエル大使館を警戒する様子を伝えている。

 那覇市による自衛官の住民登録拒否問題で、上京中の屋良朝苗知事が江崎真澄自治相との会談の様子を伝える記事で「自衛官登録/知事、意思表示せず/関係大臣『海洋博』には協力的姿勢」との見出しで伝えている。屋良知事は江崎自治相のほか、中曽根康弘通産相や愛知揆一大蔵相らとも会談し、海洋博の関連事業への支援も要請した。

 

 

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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。