復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉12月22日「自衛官の登録済みはまっ消も/那覇市長」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」した1972年12月22日の琉球新報1面トップは、「自衛官の登録済みはまっ消も/那覇市長、子弟には仮入学の措置」との見出しで、平良良松那覇市長が自衛隊隊員の住民登録拒否について、市の行政権限が基地内には及ばないとの結論が出れば既に登録済みの自衛官の住民登録も抹消する意向を示したとの記事を掲載している。

 米軍基地がらみでは「全軍労牧港支部、きょう時限スト/基地内で決起大会開く」との見出しで、全軍労牧港支部が基地内職場で起きた基地従業員の出勤停止命令の撤回を求めて時限ストに入る方針を紹介している。

 海洋博覧会の開催に向けて「『海洋博を成功させる会』発足/全県民で推進/会長に屋良知事」との見出しで、沖縄を上げて海洋博成功に向けて推進していく機運づくりの動きを伝えている。

 ベトナム戦関連では「ハノイ、B52三機墜落」との記事を掲載。これで「ハノイで墜落したB52は8機となった」と報じている。

 

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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。