復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉12月25日「在沖米軍基地、那覇防衛施設局が整理縮小第1次案」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」した1972年12月25日の琉球新報1面トップは、「在沖米軍基地、整理縮小第1次案を提出/那覇防衛施設局が施設庁に/ワクの拡大検討へ/1月日米安保委で協議」との見出しで、防衛施設庁の沖縄の出先機関から沖縄の基地整理縮小案が出されたことを伝えている。内容は明らかにされていないが「①沖縄振興計画上返還の必要なもの②都市開発などの支障となっているもの③1975年の沖縄海洋博開催に際し返還の望ましいもの④その他地域の住民に対して危険があるもの」の4つの基準をもとにリストアップしたとの説明を紹介している。

 防衛施設庁の高松敬治長官が会見で「来年は、沖縄基地も大きく変わることが予想されるが、どう変わるかは予測できない。来年1月に開かれる予定の日米安保協議委員会で話し合われよう。場合によっては那覇局がまとめた第1次案を上回ることもあろう」と述べたと伝えている。

 在沖米軍関連で来県中有の社会党の石橋政嗣書記長の会見の様子について「米軍基地、立ち入り調査要求/共闘体制を確立/石橋書記長談」との見出しで紹介している。

 このほか沖縄県内の医療体勢が不備があり、特に救急医療、へき地医療が壊滅状態だとして「県の医療体系、抜本的に立て直す/医療関係者まじえ協議/地域別の対策協発足」との見出しで体制見直しに動き出したとの記事を掲載している。

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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。