1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。
日本「復帰」した1972年12月24日の琉球新報1面トップは、「『住民登録拒否は重大』/自治省、屋良朝苗知事に通達/〝反自衛隊〟にクギ刺す/速やかな是正要求」との見出しで、那覇市を中心に革新市町村で自衛官の住民登録拒否の動きが出ていることに政府・自治省がけん制で屋良朝苗知事に通達の文書を送ったと伝えている。関連で「県当局は那覇市の出方待ち」と沖縄県側の姿勢も紹介している。
国政の動きでは「内政を重視、列島改造の実行へ/田中内閣、難問山積、楽観許さず」との見出しで前途多難な第2次田中内閣の船出を伝えている。関連で「県の施策に配慮を/屋良知事/2次田中内閣発足で談話」と屋良知事の談話も掲載している。
県教育委員の任命同意案件の取り扱いを巡って空転が県議会で続いている問題については「県教育委員の任命同意/与野党の調整決裂/県議会、いぜん空転続く」と、各派交渉会が続き与野党で主張の激しい対立が続いていることを伝えている。
国際情勢に関しては「北ベトナム国防相が爆死/南ベ情報筋が語る/ハイフォンを視察中」との見出しで、南ベトナム情報筋の話としてザップ北ベトナム国防相の死亡情報を伝えている。ただ関連記事で北ベトナム代表団スポークスマンの話として「米かいらいの心理作戦の産物」と伝えている。さらに「米軍は疑問視」との見出しで米軍側からは論評は控えており、記事では「米軍筋はこの情報を懐疑的に受け取っている」と記している。
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5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。