復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉12月26日「在沖米軍基地、密度は本土の82倍/在日基地の半分が集中」―琉球新報アーカイブから―


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 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」した1972年12月26日の琉球新報1面トップは、「在沖米軍基地、総面積の12.8%/県総務部が実態まとめる/密度は本土の82倍/在日基地の半分が集中」との見出しで、沖縄の米軍基地が専用施設・一時使用施設も含めた在日米軍基地の49.58%を締めているとの実態を紹介している。

 資料作成した県総務部の仲松部長の前書きでの「復帰後もぼう大な米軍基地が残り、県民が強く要求した基地の完全撤去にはほど遠い実情だ。基地が整理縮小される様子も無く、むしろ基地は強化さている感すらある。基地公害も増大している」との指摘も紹介している。

 米軍立川基地へ自衛隊部隊移駐問題に関して「27日に移駐強行/防衛庁、立川市に最終通告」との見出しで、防衛庁が市の同意なしに移駐を進める意向を市に伝えたとの記事を掲載。立川市の阿部行蔵市長は「市民を代表して強く反対する」と抗議した様子も伝えている。

 国際情勢では「全土で戦闘再開/ベトナム/クリスマス休戦終わる」との見出しでベトナムでの戦闘が再開された記事を掲載している。米軍の北ベトナム爆撃について「休戦直後に爆撃/ハノイ/ミサの市民多数が負傷」との別記事も掲げている。ベトナム戦の情勢について国内の動きでは「北爆糾弾で共闘/社共などが緊急集会開く」とも伝えている。

 

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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。