台湾・金門島では1992年まで戒厳令が続き、台湾本土の住民でさえも自由に行き来ができなかった。解除に伴いピーク時に10万人いた兵士は引き揚げ、近年では駐留規模は3千人程度まで減った。代わって観光業が急成長を続けている。
機密事項だった軍の砲陣地や地下水路といった軍事施設は観光地として公開されたり、産業のシンボルであるコーリャンが原料の蒸留酒の貯蔵に活用されたりしている。
両岸の緊張緩和が、金門の発展を大きく後押ししている。
交通アクセスが限られ、金門への訪問客は中国か台湾本土からがほとんどを占めてきたが、最近はそれら以外にも門戸を広げる動きがある。
金門県は2022年末、那覇空港と金門空港を結ぶチャーター便を就航させた。中国や台湾本土を除く国・地域と直行便を運航したのは沖縄が初めてで、報道陣や一般ツアー客ら総勢120人が参加した。今後は金門華僑の移民先として関係が深いシンガポールともチャーター便を結ぶ計画があるという。
「沖縄とのチャーターを機に定期的に直行便が結ばれれば、経済の起爆剤になる」。そう期待を込める観光ガイドを務める李品瑢(リピンロン)さん(47)も、生まれ育った金門の変化を感じている一人だ。戒厳令下、早い所で午後6時の消灯が求められ、街中を歩く際も警備員に身分証を示したり、服の色も決められたりと、軍事最優先の暮らしが続いた。
2000年代に入って対岸の中国・厦門(アモイ)との往来が進み、観光のみならずビジネスや結婚で厦門から金門へ、金門から厦門へと渡る人が増えた。
金門は中華民国(台湾)の治める福建省に属し、対岸の中国福建省とはもともと歴史的、文化的に近しい。近年の台湾有事を巡る動向について、李さんは「今、中国が金門を攻撃するメリットがなく、心配はしていない」と言い切る。
中台のはざまで歩んだ経験は、かつて激戦地となり現在は観光をなりわいにする沖縄のそれともどこか重なる。福建特有の赤瓦住居や、シーサーと源流を同じくする「風獅爺(フォンシーイェ)」が残るなど、文化的な共通点も多い。
台湾に属しながら中国にも近い境界に置かれた特異性は島民のアイデンティティー形成にも影響している。李さんは「台湾でも中国でもなく、金門人という意識は強い。この感覚は沖縄も似ているのでは」と笑う。砲撃の時代から一転して、交流が盛んになった中台の最前線で、“金門人”は現状が続くことを願っている。(當山幸都、知念征尚)