「平和への思い、子どもたちに届いている」 修学旅行後も交流の若者も 中山きくさん死去 関係者ら生前の活動に敬意


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慰霊の日を前に白梅之塔周辺を清掃した子どもたちと一緒に手を合わせる中山きくさん=2018年6月3日、糸満市真栄里

 沖縄戦の体験者として語り部や平和運動に尽力した中山きくさんの訃報に、県内外の関係者からは、これまでの活動への敬意と同時に悲しみの声が上がった。

 歴史教科書での「集団自決」(強制集団死)の日本軍による強制の記述を削除した教科書検定意見の撤回と記述の回復を求めて、中山さんらと長年一緒に活動した玉寄哲永さん(88)は「穏やかな人だが、平和運動のご意見番とも言える人で、沖縄戦を体験しただけに平和運動にはとても熱心に取り組んでいた。ショックだ」と話した。

 平和運動の場で一緒になることが多かったという沖縄国際大学名誉教授の石原昌家さんは、講演会やシンポジウムで言葉を発する中山さんの姿が「年齢を感じさせないようだった」と思い返す。「二度と戦争を起こしてはいけない、何としても次の世代に伝えたい、という強い思いが伝わってきた」と中山さんの姿勢を肌で感じてきた。

 オール沖縄会議の高里鈴代共同代表(82)は、中山さんが修学旅行生など学生に向けて丁寧にはっきりとした言葉で戦争の実体験を伝える姿が印象に残っているという。「戦争は絶対にしてはならないという思いで魂を注いで話していた。体験者が一人また一人と亡くなるのがとても残念だ」としのんだ。

 学習旅行で毎年沖縄を訪れて約15年間にわたり、中山さんの体験談を聞く時間を設けていた東京都の和光小学校。増田典彦副校長(41)は子どもたちを前に立ち上がり、時間を越えて体験を話す中山さんの姿は「子どもたちに伝えたいという思いが強かった」と感謝した。学習旅行後の文集では生徒たちが中山さんのことを必ず書いていて「子どもたちに届いている。卒業後も交流を続けている生徒もいた。その場限りのやりとりではなかった」と振り返った。

(中村優希、金盛文香)