非戦を語り続けた「軍国少女」 平和への思い託したバトン 中山きくさん死去


この記事を書いた人 Avatar photo 瀬底 正志郎
白梅之塔で行われた慰霊祭で亡き友に語りかける中山きくさん=2022年6月23日、糸満市真栄里

 12日に94歳で亡くなった元白梅学徒の中山きくさんは沖縄戦で負傷兵の看護に動員され、戦後は命や平和の大切さを若い世代に語り続けた。戦時下で青春を戦争に奪われ、「軍国少女」だった中山さん。自らのような体験を繰り返してほしくないという強い信念があった。学友たちの慰霊を続けながら戦争体験の継承活動に尽力。元女子学徒を束ね、頼られる存在だった。米軍基地問題でも積極的に発信し、日米の軍備強化を危惧し続けた。中山さんの思い、そのバトンは今の世代に託された。

 「一生懸命やったねぇ」。安らかな顔で眠るような中山さんに元白梅学徒の武村豊さん(93)=那覇市=は声をかけ、これまでの労をねぎらった。中山さんと二人三脚で県立第二高等女学校の白梅同窓会として活動してきた。会は中山さんが率い、戦争体験の継承活動に加え、米軍基地問題の訴えにも力を入れた。「ずーっと一緒だった。中山さんは指導力でどんどん決めて、何もかも教えてもらった。かけがえのない存在だった」と感謝を語る。

 1995年、中山さんは元白梅学徒らに呼びかけ、「平和への道しるべ」を刊行。慰霊に加え、県内外の学生らに戦争体験を語り、平和の大切さを訴え続けた。時に1日何回も講話を掛け持ちした。武村さんは中山さんのそばで「命があるからこそ、子や孫に囲まれて今がある。命が何よりも大事だ」と訴える姿に感銘を受けた。中山さんが病の中でも1週間に1回は電話していた。最近は電話も面会もできず、訃報に「ショックだ」と肩を落とした。元学徒が少なくなり「白梅継承の会」が慰霊祭や平和講話を引き継いでいく。武村さんは「もう私たちは歩くのも大変。『継承の会』を支えてほしい」と望んだ。

 中山さんは元女子学徒らが戦争体験を語り継ぐ「青春を語る会」も束ねた。一緒に活動してきた元県立八重山高女の徳山昌子さん(93)=西原町=は今朝訃報を知ったといい、「とても重要な方だった。残念でたまらない」とうなだれた。連絡が取れず、年賀状もなく心配していたという。「コロナが収まったらまた集まろうと話していたのに」と声を詰まらせた。

 中山さんらの活動を引き継ぐため、2019年に若い世代が立ち上げた「若梅会」の代表で、「白梅継承の会」事務局のいのうえちずさん(54)は「きくさんに託されたことをやっていく」と誓う。2007年ごろに中山さんと出会った。その言葉は胸にある。「いつも言っていたのは『思っているだけでは平和は来ない。行動しなさい』ということ。ずばっと言って、本当にかっこいい先輩だった」。感謝と尊敬は尽きない。中山さんの思いを語り継ぐ平和講話や慰霊祭をこれからも続けていく。
 (中村万里子)