<書評>『歌(あやご)の島・宮古のネフスキー』 「なぜ、宮古なのか」に迫る


社会
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『歌(あやご)の島・宮古のネフスキー』田中水絵著 ボーダーインク・3080円

 スターリン支配下のソ連で粛清された天才的な言語学者ニコライ・ネフスキー。彼は、日本民俗学の揺籃(ようらん)期、柳田国男・折口信夫らの指導を受けて日本文化の深層に迫ろうとした。その彼が注目したのが宮古であった。琉球・沖縄研究が伊波普猷の手で開かれつつある中、何故、ネフスキーは宮古に向かったか。これが著者のネフスキー研究の原点であった。しかし、この問いは著者だけのものではない。ネフスキーの伝記としてその名前を広く知らしめた加藤九祚(きゅうぞう)『天の蛇―ニコライ・ネフスキーの生涯』、そして『宮古のフォークロア』の編者・L.L.グロムコフスカヤも「何故、宮古なのか」と問うていた。ネフスキーに注目する人々が等しく抱く疑問。これに迫るのが本書である。

 ネフスキーの宮古研究の著作としては『月と不死』、そして『宮古のフォークロア』(狩俣繁久他共訳)が著名である。そして、心血を注いだ宮古方言の採集ノート『宮古方言ノート』があり、これらによってネフスキーの宮古研究の大概を知ることができる。本書はこれらの本に結実するネフスキーの宮古研究の発端から最終盤までをたどって、「何故、宮古か」に迫ろうとする。ここに出てくる宮古の人々の名前は上運天(稲村)賢敷、国仲寛徒、前泊克子などなど。多くが教育者であり、国仲は伊良部村長であった。宮古の民俗を生きてきたこれらの理解者の協力があってネフスキーは、その目的達成に向かって進むことができた。献身的とも言える交わりである。そして、宮古に向かう前には、伊波普猷、東恩納寛惇、宮良当壮の指導も受けていた。何よりも、田島の「宮古島の歌」や『混効験集』研究に大いに導かれたのだという。

 ネフスキーの宮古での足跡をたどりながら、これらのことを明らかにしたところに本書の成果がある。昨年末、宮古でネフスキー生誕130年・来島100年を記念して記念文集『子ぬ方星(ニヌパブス)』が刊行された。100年前にネフスキーと交わった宮古の人々の思いは今に受け継がれている。そのことを知るためにも本書は大切な一冊である。

(波照間永吉・名桜大学大学院特任教授)


 たなか・みずえ 静岡県生まれ。2013年、ネフスキー研究で沖縄文化協会賞特別賞。著書に「奇妙な時間(とき)が流れる島サハリン」「風に舞ったオナリ」など。

 


田中水絵 著
A5判 160頁

¥3,080(税込)