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後進に道譲る 創意工夫し最善を<バスケットボールに恋をして 名将・安里幸男のメッセージ>4


この記事を書いた人 Avatar photo 大城 周子

 Bリーグ所属のプロバスケットボールチーム「琉球ゴールデンキングス」の活躍に県民が盛り上がり、今年8月のバスケW杯の開催地にもなるなど、沖縄ではいまバスケ熱がこれまで以上に高くなっています。沖縄の高校バスケットボール界の一時代を築いた名将・安里幸男さんのストーリーに迫った、2014年掲載の連載「バスケットボールに恋をして」を改めて掲載します。

辺土名高、北谷高を全国高校総体3位に導くなど、沖縄のバスケットボール界で一時代を築いた安里幸男さんが今春、前原高で定年退職を迎えた。人一倍の情熱で多くの選手や指導者を育てた名将が、経験から得たものや後進への思いなどを語る。

定年退職記念パーティーで家族や北谷高時代の教え子たちに囲まれ笑顔を見せる安里幸男さん(中央)=2014年4月12日、沖縄市

ーー辺土名から始まって前原で定年を迎えるまで、指導した学校で実績を挙げてきた安里幸男さん。国体監督や全日本ジュニアのコーチも務め、いつも全力で指導に当たった。

県外からたくさんの指導者も見学に来たし、周囲が心配するほど教えたこともあった。でも他人に教えたからといって、僕はそこで終わりじゃない。成長できる自信がある。地球で見れば沖縄なんて針の先。そんな場所で教える教えない、なんてことをしたら小さくまとまってしまう。そんなバスケット人生は送りたくないよね。

ーー後年はかつての教え子たちが県内強豪を率いる監督になり、激しく競った。「後進に道を譲る」。定年を機に、高校バスケの現場から退くことを決めた安里さんが伝えたい思いとは。

同じ監督としては負ければ悔しいし、教え子なんて言ってられない。でも、恩師という立場なら喜ばしいこと。良い指導者を何人育成できるかが、本当の評価だと思ってやってきた。僕自身は県外の指導者たちから「沖縄のバスケット」ではなく「安里のバスケット」だと言われてきた。皆にも自分のスタイルを極めてほしい。僕のしてきたことが全てじゃない。

教師は担任など学校の仕事がたくさんあって、部活動のころには疲れ果てている。その中でわくわくできるよう自分を持っていかないといけない。僕は大会時は、試合前日の夜中2時ごろに起き出して対戦相手のビデオを分析した。しんどいけど、それを頑張れば勝利がつかめると思ってやっていた。良いコーチは言って聞かせる、優秀なコーチはやってみせる、最高のコーチはハートに火を付ける。とにかく今この瞬間にベストを尽くすことが大事。バスケットに限らず全てにおいて、創意工夫をしてベストを尽くす。この蓄積だ、人は。ベストを尽くして楽しめ、それが全て。

家族、特に妻には感謝している。中部工時代に寮をつくる時には預金通帳を持ち出して「二つは子どもたちに残すから二つは好きに使って」と言ってくれたこともあった。僕にとって家庭は充電する場所だった。癒やされて勇気をもらえたから、また戦場に向かえた。

全国4強の壁は越えられずに終わってしまった。だけど、チャレンジできた。とてもいい指導者人生だった。今後は、各地区のバスケット教室に顔を出して若い指導者を育てると同時に、子どもたちを育成したい。ゆくゆくはまたチームを見たいという思いもある。僕はバスケットが大好き。生きている限りボールを追い続けたい。(まとめ・大城周子)

(2014年5月4日掲載)