沖縄では米軍統治の時代から保革や思想信条を超えて人々が一致して行動する「島ぐるみ」の運動が起きてきた。2013年に県内全41市町村首長と議会、経済団体などが一致して「建白書」を安倍晋三首相に提出するに至ったのは、1995年の少女乱暴事件、2007年の沖縄戦の記述を巡る教科書問題から続く、新たな島ぐるみの一種の到達点だったと言える。沖縄の総意で要求を突きつけたことは歴史的にも非常に重要だ。
この新たな島ぐるみが「オール沖縄」と称されるようになり、後に政治組織の呼称でも用いられるようになった。1995年までの島ぐるみの抗議対象は主に米軍だったが、新たな島ぐるみは対本土政府に変わった点が特徴だ。普天間飛行場の「最低でも県外」移設を唱えた民主党政権誕生後、県民世論が一致したことも影響している。県内外のさまざまな要因が相乗効果となって保革や思想信条を超えた運動として新たな島ぐるみとなった。
これまで起こった島ぐるみの運動も、時間とともに内外の要因で再分断されていき、やがて低迷していった。2014年の知事選で新たな島ぐるみの中心人物だった翁長雄志氏が当選して以後、沖縄の分断は深刻化している。
いろいろな意見があって対立するのは本来正常なことだ。だが対本土となると沖縄にとっては分断して対立していることの悪影響は大きい。辺野古の問題や経済問題にしろ、沖縄が一番力を発揮してきたのは島ぐるみでまとまった時だった。県内が割れて一番喜ぶのは政権だろう。
コロナ禍で経済が低迷している上、過去には島ぐるみにつながる要因の一つだった沖縄戦の記憶も薄れるなかで、南西諸島の防衛力強化が進んでいる。沖縄が再び島ぐるみでまとまれるかは見通せない状況だ。
(沖縄現代史)