prime

オフレコ誰のため 政治と慣れ合わぬ緊張感を 取材の自由㊤<山田健太のメディア時評>


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
記者団の取材に臨む岸田首相。左は荒井勝喜秘書官=2022年11月、首相官邸

 岸田文雄首相のスピーチライターとされる荒井勝喜首相秘書官が4日、更迭された。3日晩に首相官邸において記者の取材に応じた際、性的少数者への差別発言があったことが理由だ。この場が、公表を前提としない非公式取材であったことが話題になっている。かつて琉球新報も同様な状況での公人発言を報道した際、「オフレコ破り」として厳しく指弾された歴史がある(本欄2011年12月10日、同13日。『見張塔からずっと』所収)。

 そこで改めて、報道を前提としない取材とは、だれが何を守っているのかを考えてみたい。それは今日の、政治とメディアの関係性を問い直すことにもなるはずだ。

半世紀前の事件

 ちょうど時を同じくして、横路孝弘・北海道知事/衆院議員が2日に亡くなった。同氏は、沖縄返還をめぐる外務省密約報道で毎日新聞記者が逮捕・有罪となった、いわゆる西山事件のきっかけを作った人物でもある。訴訟では取材の自由が正面から争われ、1978年の最高裁判決では「報道機関が公務員に対し根気強く執拗に説得ないし要請を続けることは、それが真に報道目的から出たものであり、その手段・方法が法秩序全体の精神に照らし相当なものとして社会通念上是認されるものである限りは、実質的に違法性を欠き正当な業務行為というべきである」と、取材の自由を認めたものとして知られる。

 しかしこれは一般論に過ぎず、結果として取材源である公務員も記者も有罪とされ、公権力が「不当」と判断さえすれば、明確には違法でない取材方法であっても認められないという前例を作ってしまった。しかも今般の特定秘密保護法によって、この正当性判断ルールが法規範となった。もし横路氏が、国会で無防備に記者から譲り受けた外務省極秘公電のコピーを示すことなく、情報元(もと)の犯人捜しのきっかけを与えなかったら、違った歴史になっていただろう。また記者も、取材源を守れなかったという意味で、ジャーナリスト倫理上で大きな問題を残した事案だ。

 このように、取材の自由は極めて危ういバランスの上に成り立っている、壊れやすいものであるのが実情だ。公権力側は少しでも隙(すき)があればその弱みを突こうとし、それによって取材の自由は縮減するという結果を生みかねない。もちろん、個々の記者が不用意な攻撃要因を作らないことは大切だが、小さな「穴」を開けられることによって、取材や報道が萎縮してしまうことはもっと大きな問題である。

 そのためにも、現行の法枠組みにおいて、政府と報道界での解釈上の差異がどこにあるかのかを正確に理解したうえで、一方的な行政運用については抗議や申し入れなどのアクションを起こすことで、きちんと対峙(たいじ)していくことが必要だ。「正当な業務」が何を指すかの判断権が一方的に行政にある現状の中で、形式的には法に反するものの、公益性・公共性が認められ、かつ緊急性や非代替性が合理的に認められるような報道目的の取材については、正当であるとの社会的合意を形成していくことが、より一層重要になってきている。それらを放置したり黙認することで、「悪(あ)しき慣習」として固定化することに繋(つな)がり、それは自由の制約に直結することになるからだ。

公益性を優先

 こうしたなかで「オフレコ」が多用される日本の取材状況は、私たちの知る権利にとって危険に満ちている。オフレコは、「オフ・ザ・レコード」の略で業界用語の1つだ(反対語は「オンレコ」)。記録すなわち報道しないの意味で使われ、いわゆる「ここだけの話」として、通常はメモを取ったりテープを回さないのが「礼儀」とされる。しかし実際は、「完オフ(完全オフレコ)」と呼ばれる、どこで誰が話したか、その内容を含め一切内密というものではなく、発言者を明確にしなければ内容は報じてもよいという「背景事情説明(バックグランド・ブリーフィング)」レベルまで濃淡がある。

 今回の場合は、後者の「記者懇談」といわれる一般的な非公式会見の場であり、しかも記者の側も録音していたのではないかと思われるほどの、正確な1問1答が報じられている。こうした懇談の場は、政権の政策をより理解するうえでも必要不可欠とされているし、政治家や官僚の側にとっても間違った報道をされないためのセーフティガードでもあり、時には意図的なリークによって世論操作の手法にも使える優れものだ。

 だからこそジャーナリスト側は、利用されないような細心の注意と緊張感をもって、オフレコの場に居合わせる必要があるし、報ずべき公益性が、取材先との「個人的な約束」による信義を上回ると判断した場合は、躊躇(ちゅうちょ)なく報じる必要がある。もちろんその時には、その信頼関係の反古(ほご)が当該記者個人にとどまらず、媒体全体もしくは報道界全体にも及ぶ可能性があるだけに、組織内の協議が不可欠であるし、礼儀として相手方に事前に通告をすることも求められよう(その場にいた他社にも報道予定であることを伝えることがあってもよかろう)。

 情報源に接近しつつも、曖昧な関係に甘えないためには、楽な手法に慣れないことだ。取材対象の官公庁に常駐している、顔なじみの記者と一緒に聞いたことを実名で報じないのは、記者クラブとして知られる大手報道機関中心の記者溜りの長年の慣行にすぎない。そもそも、ディープ・スロートと称されるような機密情報提供者にみんなで会うことはあり得ない。こうした内部告発の要素を含む場合には、当該者を守るため情報源を書かないことは絶対だ。それは逆説的には、記者団での非公式会見はオフレコになじまないということでもある。

 オフレコ取材の内容を報じたことを称(たた)えることに留(とど)まるのではなく、これを機に現場で討議を重ね少しずつでも甘えや馴れを排していくことで、市民社会からより信頼されるジャーナリズムが成立する。

(専修大学教授・言論法)