翁長前知事が残した楔(くさび) 阿部藹<託されたバトン 再考・沖縄の自己決定権>1


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 玉城デニー知事が、2期目に入った昨秋から名護市辺野古の新基地建設阻止に向けた国連訪問に意欲を見せている。工事を進める根拠である国の裁決を取り消すよう県が求めた裁判で、最高裁判所に上告を退けられ敗訴が確定するなど国内手続での打開が困難な中で、国連で国際世論に訴える意義は大いにある、と考える。

 ただし、国連の「どのような場で」「何を訴えるのか」については、慎重で精密な議論の積み上げが必要だ。何よりも翁長雄志前知事が国連人権理事会に残した「沖縄の人々の自己決定権」という楔(くさび)を損なうことなく継承してほしい、と強く願う。

 2015年9月、当時の翁長知事は国連人権理事会で「沖縄の人々は自己決定権や人権をないがしろにされている」と述べた。筆者は島ぐるみ会議・国連部会のボランティアスタッフとして実現のために約9カ月奔走し、スイス・ジュネーブにも同行したが、この時の様子を今でも鮮明に記憶している。

 国連人権理事会には多くのメディア関係者が日本から詰めかけた。ずらりと並んだカメラのレンズが、真っすぐ前を見つめて自らの発言の順番を待つ翁長知事に向けられていた。議長が呼びかけ、会議場の視線が一斉に注がれる中、沖縄県知事による歴史的な演説が始まった。その口頭声明は、沖縄が他国の軍事基地によって深刻な人権侵害を受け、民意に反して更なる軍事基地建設が進んでいること、沖縄の人々の自己決定権がないがしろにされていることを訴え、自国政府に対し「自由、平等、人権、民主主義」といった価値を尊重しているのかという問いを突きつける、鋭い内容だった。そして、これまで安全保障や地政学の問題として語られることが多かった米軍基地問題を人権問題として捉え直し、さらにその人権問題を国際社会に知らせる画期的な役割も果たした。

 知事のこの演説は全国ニュースのトップで、さらに海外メディアでも大きく報じられた。注目された理由は、諸外国の代表者が居並ぶ前で述べられた声明が、日本の一地方自治体の代表者が自らの政府に対し、その民主主義の在り方を鋭く糾弾するという前代未聞の内容だったからであり、もう一つは―そしてより本質的な理由は―沖縄の人々の自己決定権に言及し、それがないがしろにされていると訴える内容だったからである。

 しかし、翁長前知事はこの権利に言及したことで帰国後窮地に陥る。沖縄県議会で自民党の議員らが「自己決定権とは先住民族であることが前提の言葉」という認識に基づいて、「知事は沖縄県民が先住民族であるという間違った印象を広めた」などと厳しく指弾したのだ。

 しかし、自己決定権が先住民族の固有の権利であるという言説は、非常に不正確だ。自己決定権は元々、第2次世界大戦後にアジア・アフリカの人々が植民地支配から独立を勝ち取るための権利として確立したものである。それが近年、「植民地からの独立」という文脈以外でも認められるようになり、さらに2007年に先住民族の権利に関する国連宣言が採択され、先住民族にも国家の中で高度な自治を確立する権利としての自己決定権が認められるようになったのだ。

 また、口頭声明や現地での発言記録を見れば明らかだが、翁長前知事は国連の場で「沖縄の人々は先住民族である」という主張は一度もしていない。県議会でも「先住民族という認識ではなく、琉球併合や本土復帰などの歴史に基づく沖縄の人々の自己決定権という意味で使った」という趣旨の説明を繰り返している。その後、筆者は自己決定権の研究を続ける中で「人民」としての自己決定権の可能性を確信するようになったが、それは知事が語った沖縄の歴史に根拠を見出(みいだ)している。(この説明は「翁長前知事が沖縄の人が先住民族であると主張した」という誤解を解くためであり、沖縄・琉球の人々が先住民族であることを否定するものではない。先住民族としての意識が広く共有されれば、より強い権利主張の根拠になるとも考えている。その点については今後詳述する。)

 そして実は、翁長前知事が語った「沖縄の歴史に基づく自己決定権」が安易に否定できるものでないことは、その後の日本政府の行動が示しているのだ。

 あまり知られていないが、口頭声明の後に日本政府は人権理事会で反論権を行使した。国連の場で発せられる自己決定権という言葉は重く、本来であれば反論の中で真っ先に否定されるはずだが、日本政府の代表は「自己決定権」やその他の人権侵害の主張について一言も触れることなく、米軍基地の負担軽減と経済振興策に取り組んでいることを強調するにとどまった。これはつまり、人権問題を議論する場で日本政府が「沖縄の人々の自己決定権」を否定しなかった、という事実が残されている、ということだ。

 琉球・沖縄の先人たちが琉球処分、米国統治、返還など困難な歴史の中でバトンを繋(つな)いできた末に、翁長前知事は「否定されていない」自己決定権という楔を国連に残した。これは沖縄にとって今後大きな意味を持ちうる一方で、継承の方法を誤れば損なわれてしまう脆(もろ)さもあると筆者は考える。玉城知事が国連に赴くのであれば、自己決定権をどう捉え、どのような人々の代表として、どの機関で、どのような権利について語るのかといった緻密な議論が必要だ。

 本連載では国連演説の経緯、自己決定権の発展の歴史を振り返り、さらに沖縄の歴史的な出来事を国際人権法の観点から分析し、沖縄(琉球)の人々の権利について再考していく。
 


 あべ・あい 琉球大学客員研究員。京都大学法学部卒、元NHKディレクター。島ぐるみ会議・国連部会のボランティアとして翁長前知事の国連人権理事会での口頭声明の実現に尽力。2017年に渡英しエセックス大学大学院にて国際人権法学修士課程を修了。著書に『沖縄と国際人権法―自己決定権をめぐる議論への一考察―』(高文研)。