「手話が命」当事者ら経験語る 高齢者施設で「会話できない苦しみ」など課題も 沖縄


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手話の大切さなどについて議論するパネリストら=2月23日、那覇市おもろまちの県立博物館・美術館講堂

 沖縄県は2月23日、「手で話そう運動フェスタ」を那覇市おもろまちの県立博物館・美術館で開いた。手話を使いやすい社会を目指し、手話の普及や聴覚障がい者への理解促進を図ることが目的。パネルディスカッションには聴覚障がいの当事者などが登壇し、過去に経験した口話教育の苦悩や、手話の大切さなどを語り合った。

 1880年にミラノで開催された第2回世界ろう教育国際会議で、聴覚障害教育は手話でなく口話ですべきとの決議を機に、日本でも口話教育が主流になった。口話教育は、相手の口の形や動きから話す内容を理解し、自らしゃべれるように発声を訓練する教育方法だ。

 3歳で聴力を失った県聴覚障害者協会の城間枝利子会長は口話教育を受けて育った。授業中は先生の口の動きに集中しなければならず、本来の学習の理解が進まなかった。「手話を使って知識の勉強をもっとやりたかった。私たちにとって手話は命だ」と話す。

 先天性の聴覚障がいがある沖縄聴覚障害者情報センターの本田一郎施設長は、子ども時代、手話は言語として認識されておらず母から「手話は恥ずかしいからやめて」と叱られた。20歳から手話を習い始め、言葉の意味を理解できるようになり視野が広がった。

 一方、今でもテレビで情報を得るのが難しいなど課題があるという。本田施設長は「聞こえないことがどういうことか、どんな障壁があるか知ってほしい。聞こえの程度に合わせてさまざまな支援がある」と話した。

 沖縄ろう学校の大城麻紀子校長は、手話が分からない状態で沖縄ろう学校の幼稚部に就任し、口話で授業をしていた。一度学校を離れて再就任時に手話を取り入れると、子どもたちの成長の早さに驚いた。「自己紹介もできなかった子たちが自己主張をして私をからかうようにまでなった。こんなに変わるかと感動した」と振り返った。

 全国手話通訳問題研究会沖縄支部の石川陽子支部長は、聴覚障がい者が高齢になった時の課題を指摘した。老人施設に通っても手話が分かる職員や利用者が少なく、会話ができない苦しみがあるという。石川さんは「全国には聴覚障がい者だけの老人施設があるが沖縄にはまだない。社会で生きていくにはまだ苦しい現状がある」と話した。

 イベントでは、真和志高校手話部と中部農林高校手話ソング同好会が手話パフォーマンスを披露した。
 (中村優希)