希少がん闘病2年 「40歳未満」理由にはだかる制度の壁 母親「経験を知って」 那覇市の北見さん


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闘病中、ベッドの上でほほ笑む北見花菜さん=2021年7月(提供)

 成人での発症率は2500万人に1人とされる希少がん「悪性ラブドイド腫瘍」で闘病していた北見花菜さん(35)=那覇市=が2月、県立中部病院で亡くなった。小学4年生の子を育てるシングルマザーで、2年前にがんが見つかる直前には、再婚することを両親に報告していた。幸せのさなかでの、突然の「ステージ4」のがん宣告。一時は「3カ月は持たない」と言われたが、周囲のサポートを受けながら病と闘った。

 若い世代のがんは社会的な支援不足が課題だ。全国の医師らでつくる関係団体は3月に啓発週間を設け、課題を訴えている。母の裕美さん(63)=読谷村=は「2人に1人はがんになると言われている時代だけど、治療法が確立されていないがんもあるということを、花菜の経験を通して知ってほしい」と語る。

 2021年1月末、県立南部医療センター・こども医療センターで看護師として働いていた花菜さんは身体に異変を感じ、病院を受診。検査の結果、ステージ4のがんと診断された。突然の宣告に本人も家族も混乱したまま入院が決まった。

 同年3月に希少がんの「類上皮肉腫」と判明した。治療法がないため、一般的ながん治療で延命を開始。放射線治療装置「トモセラピー」や、開頭せずに脳深部の腫瘍を治療できる「ガンマナイフ」などの治療法を試したが、転移は広がっていった。

 22年11月、東京で類上皮肉腫の新薬の臨床試験(治験)が始まることを知り、今年1月にわずかな望みを託して参加した。だが上京後の事前検診の結果、花菜さんは類上皮肉腫よりさらに症例の少ない「悪性ラブドイド腫瘍」であることが分かり、治験は受けられなかった。

 同腫瘍は主に1歳までの子どもが発症する小児のがんで、進行が早く予後は悪い。国内での発症は年間15例程度で、成人ではさらに少なく、治療法は確立されていない。

姉の春菜さん(右)、弟の雄治郎さん(左)と共に笑顔を見せる花菜さん=2022年3月(提供)

 思いもよらない告知だった。それでも諦めることなく、沖縄に戻ると、中部病院で主治医と相談しながら手探りで化学療法を始めた。

 「何にでもチャレンジする、頑張り屋さん」(裕美さん)だった。過酷な治療が続く中でも「できなくなったら終わり」と時間をかけて自分で食事を取り、薬や治療法について積極的に調べていた。

 闘病を続ける中で、制度の壁にも直面した。40歳未満のため介護保険制度は使えなかった。治療にかかる費用は傷病手当や保険で賄った。治験への参加はクラウドファンディングや寄付に助けられた。花菜さんはたくさんの応援の声に対して「本当にありがたい。感謝してもし尽くせない」と話していたという。

 容体は落ち着いているかのように見えた。だが病は確実に身体をむしばんでいた。治療の2クール目を始める予定だった2月15日、花菜さんは息を引き取った。

 亡くなる前日、「あの時点に戻りたい」と裕美さんにつぶやいた。幼い子どもに、やりがいのある仕事、パートナーと始める新たな生活が待っていた「あの時点」。だが願いはかなわなかった。

 花菜さんの口から最後にはっきりと聞き取れたのは、自身のそばで泣く子どもの名前を呼び「頑張れ」とかけた言葉だった。

 裕美さんは、2年にわたって花菜さんを見守った日々を振り返り「多くの人に支えてもらった。こんな闘病生活を送った花菜が、皆さんの心の隅に残ってくれたらうれしい」と語る。

 治療法が分からないがんと闘い続けてきた花菜さん。その経験を今を生きる多くの人に知ってもらうためにも、家族は死をゆっくりと受け入れながら、花菜さんの思い出とともに、懸命に前を向いている。
 (嶋岡すみれ)