沖縄の「亀甲墓」は巨大化し独自の進化? 中国と比較し学ぶ 沖縄市で文化講座


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亀甲墓のルーツや沖縄独自の変遷についての解説に耳を傾ける受講者=3月25日、沖縄市役所ホール

 【沖縄】沖縄市文化財講座「亀甲墓のはじまり」が3月25日、市役所地下大ホールで開かれ、定員60人が満席となる盛況だった。講師は同市文化財調査審議会委員で元県立埋蔵文化財センター所長・博士(考古学)の安里嗣淳さんが務めた。

 亀甲墓は、シーサーや石敢當と並び県民になじみの深い歴史文化。そのルーツから沖縄で広がっていった道のりについて考古学的視点から紹介、解説した。

 安里さんは琉球人墓地のある中国福建省の文化の影響を指摘。1372年から1866年までの琉球王国と中国の明朝、清朝との関係性を踏まえた上で、県内における亀甲墓は1600年代に登場したこと、近世前期の有力氏族の亀甲墓、沖縄型亀甲墓の詳細な各部名称や内部構造などをスライドや配布資料で解説した。また台湾、フィリピンなど中国の影響を受けた華僑系アジア文化圏での調査研究の一端を紹介した。沖縄と中国の亀甲墓を比較し共通点、相違点についても言及。特に沖縄では、規模が巨大化し独自の進化を遂げたことを強調、その理由として「改葬、追葬の必要性から来ている」と挙げた。

 講座には街歩きで修学旅行生などを受け入れている市観光物産振興協会の認定ガイドも数人が参加した。その一人、當山時彦さんは「ガイドコースで亀甲墓なども案内しているのでとても勉強になった。ガイドに生かしていきたい」と話していた。
 (岸本健通信員)