医師の予想を覆し「走れる体」に 病乗り越え、復活のレースへ 那覇市の我那覇さん【宮古島トライアスロン】


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股関節の疾患を乗り越えて大会に出場する我那覇昭子さん=14日、宮古島市平良久貝(大城三太撮影)

 【宮古島トライアスロン取材班】第37回全日本トライアスロン宮古島大会(主催・宮古島市、琉球新報社)が16日、本番を迎える。午前7時にスタートしスイム、バイク、ランで各選手がそれぞれの思いを胸に熱い戦いを繰り広げる。競技歴は浅いものの、仲間の後押しを受けて最年少で出場する男子選手、先天性の股関節の疾患を克服してレースに挑む女子選手、小学生の頃に見たゴールテープを切る父の後ろ姿を追い掛け、完走を決意する男子選手など、自然あふれる島を舞台にアスリート魂をレースにぶつける。

 我那覇昭子さん(49)=那覇市=は先天性の股関節の疾患を克服し、大会に挑む。「復活をアピールするなら宮古島大会しかない」と意を決し応募した。2019年秋には一時は歩行もできなくなくなるほど状態が悪化。医者から手術を薦められ「日常生活に支障はないが、二度と走ることはできなくなる」と告げられた。

 手術なしで復帰する道も模索したが、痛みは治まらず、22年1月末に手術。金属とセラミックを骨に埋める人工股関節の処置を受けた。

 リハビリ期間中、これまで何気なしにできていた走ることへの感謝の思いがあふれた半面、「生きていても楽しくない」と崖っぷちに立たされた時期もあった。可動域が狭くなり、転倒すれば骨折や脱臼の恐れも十分にあるというが「下半身に負担のない走り方、バイクのこぎ方へフォームを改善した」。医者の予想を覆し、走れる体を一からつくり上げた。

 しかし、さらに苦難が訪れる。今大会の調整と位置付けて出場したダバオ(フィリピン)の大会で、スイム中に他の選手に頭や目の部分を蹴られるアクシデントに見舞われた。右目を網膜剥離と診断され、2回の手術を余儀なくされた。それでも諦めずに調整を続け、大会に間に合わせた。

 那覇市泉崎にある自転車ショップのチーム「ハシカワサイクル」に所属する。競技を始めるきっかけくれた代表の橋川喜光さん(70)の全面サポートもあり、大会の舞台に立つ。「1番は安全にゴールすることを目指す」とチームの思いを一つにコースを駆け抜ける。
 (大城三太)