河瀨直美さん、民泊家族と32年ぶりに再会 本紙エッセーがきっかけに 宮城さん一家とのふれあい懐かしむ


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思い出の海岸で、32年ぶりの再会を懐かしむ宮城徳彦さん(右)と仲里留美子さん(中央)と河瀨直美さん(左から2人目)=18日、北谷町宮城(喜瀬守昭撮影)

 琉球新報文化面で第2、4火曜日にエッセー「とうとがなし」を連載している映画監督の河瀨直美さんが、1987年の海邦国体出場時に民泊をした宮城徳彦さん(69)=宜野湾市=と18日、32年ぶりに再会した。国体の思い出について書いた11日掲載のエッセーを読んだ宮城さんが本紙に連絡し、再会が実現した。

 河瀨さんは当時、高校3年でバスケットボールの奈良県代表として出場した。映画監督を目指すか悩んでいた91年にも宮城家を訪ね、徳彦さんの妻・美智子さん(69)に相談したという。その後、徳彦さんたちは河瀨さんの活躍を喜んでいたが、河瀨さんの引っ越しなどで連絡先が分からなくなっていた。

 徳彦さんや娘の仲里留美子さん(43)と再会した河瀨さんは、87年に散策した北谷町の海岸も再訪した。徳彦さんは「(民泊した子の中で)一番元気だった」と懐かしんだ。

 当時8歳だった留美子さんは「お姉ちゃんみたいで、ずっといてほしかった。別れる時は寂しくて見送りできなかった」と振り返った。

 河瀨さんは「留美ちゃんが今ではお母さんになって不思議な感じ。お父さん(徳彦さん)の話し方は変わっていない。いつも温かく迎えてくれてありがたい」と話し、再会を喜んだ。
 (伊佐尚記)