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【1970年代の写真も】最高のエンターテイナー 破天荒ライブで圧倒、米兵たちも魅了 かっちゃん死去


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
「生前葬」で熱唱するかっちゃん=2010年、沖縄市のミュージックタウン音市場

 「かっちゃん」ことロックミュージシャンの川満勝弘さんが20日に亡くなったことを受け、音楽仲間などからは沖縄ロック界のレジェンドの死を惜しむ声が聞かれた。

 元コンディショングリーンのドラマーで「チビ」こと宮永英一さん(71)は、「ステージに対する彼の情熱は抜きんでていた。20世紀最高のエンターテイナーだ」と悼む。活動した1970年代は日本復帰やベトナム戦争など激動の時代。「もうすぐ死ぬかもしれない米兵たちに生半可なパフォーマンスは許されない。彼らをどう驚かせるか常に考え、本気で向き合っていた」と、ステージに立つ川満さんの姿を懐かしんだ。

 川満さんを「オヤジ」と呼び、父のように慕ったかっちゃんバンドのリードギター「KENちゃん」こと下地健一さん(53)。川満さんが経営していたライブハウス「ジャックナスティー」では、長時間のソロなど川満さんの“むちゃぶり”に応えるうちに鍛えられた。「体調を崩しても奇跡的に立ち直るかもと思っていた。それだけのエネルギーがある人だった」としのんだ。

 川満さんが出演を重ねてきたピースフルラブ・ロックフェスティバルの総合プロデューサー徳山義広さん(68)は「若いバンドが『自分もあんな風に脚光を浴びたい』と憧れ、切磋琢磨(せっさたくま)した。観客みんなが『かっちゃん、今年は何をしでかすんだろう』と盛り上がった。そう期待できなくなるのが寂しい」と惜しんだ。

 玉城デニー県知事は「県内外の音楽シーンに影響を与え、県の芸術文化の振興にも貢献した」とたたえ、哀悼の意を示した。

 沖縄市の桑江朝千夫市長は「最高のエンターテイナーであるかっちゃんの独創性あふれるパフォーマンスはオキナワンロックを愛する多くの人々の心に永遠に刻まれるものと思う。音楽のまち沖縄市を盛り上げていただいたことに感謝すると共に、ご冥福をお祈りしたい」とコメントした。

 (石井恵理菜、古川峻、島袋良太)


 「かっちゃん」こと川満勝弘さんは、伝説のハードロックバンド「コンディショングリーン」のボーカル・リーダーとして、破天荒なライブパフォーマンスなどで沖縄駐留の米兵らの人気を集め、オキナワロック界をけん引してきた。

ライブで演奏するコンディショングリーン時代のかっちゃん(右)=1970年代初頭、コザ市(現沖縄市)のライブハウス(喜屋武幸雄さん提供)

 21日、亡きがらの側で川満さんが好きだったという米歌手のフランク・シナトラの楽曲が流れていた。少年時代からずっとオールディーズが好きでよく聴いていたという。近年は、少年時代に回帰するように穏やかな曲を好んだ。

 1971年に結成した「コンディショングリーン」では、ヘビーなサウンドと、奇抜なライブパフォーマンスや強烈な個性で親しまれた。ベトナム戦争に向かう荒れた米兵客を前に、蛇を使った荒々しいパフォーマンスで観客を魅了した。

ヘビを使ったライブパフォーマンスで観客を盛り上げるコンディショングリーンの時代のかっちゃん(右から2人目)=1970年代初頭、コザ市(現沖縄市)のライブハウス(喜屋武幸雄さん提供)

 元コンディショングリーンの名ギタリスト・サミー仲宗根さんは「かっちゃんはどちらかと言うと、『ハードロック』ではなく『リズム・アンド・ブルース』。ハード・ロックシンガーではない」と指摘する。

 沖縄市のゲート通りで、30年近くライブハウス「JACK NASTY’S(ジャックナスティ)」を経営し、2012年ラストライブを開いた。ジャズの名手、ルイ・アームストロングや、ソウルを代表するオーティス・レディングの楽曲を愛唱した。生前、川満さんは「穏やかな曲が好きになった」と話した。

ピースフルラブ・ロックフェスティバル2022で観客の声援に応えるかっちゃん=2022年7月、沖縄市のコザ・ミュージックタウン(喜瀬守昭撮影)

 BEGINの比嘉栄昇さんがプロデュースし、14年に発売したソロアルバムでは新たな一面をのぞかせた。BEGINは「かっちゃんがもう少しテレ屋じゃなかったら、国民的な歌手になっていましたよね」とコメント。「ボーカリストに必要な全てを持っている人でした。最後のアルバムを一緒にレコーディング出来た事、光栄でした。かっちゃんまた『うた』の中で会おうね」としのんだ。

 (田中芳まとめ)