過激で、まじめな英雄 「かっちゃん」こと川満勝弘さんを悼む 喜屋武幸雄 


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
30年経営したライブハウス「ジャックナスティー」でのラストライブで歌うかっちゃん=2012年、沖縄市のジャックナスティー

 子どもの頃からからビジネスセンター通り(現パークアベニュー通り)で一緒に育った。スポーツ万能で清く正しく、まじめな男だった。嘉手納基地の門前町のような通りで、ともにジュークボックスから流れる英語の音楽が体に刷り込まれていた。

 1964年、沖縄初のロックバンド「ウィスパーズ」を一緒に結成した。最初はネクタイを締めるスタイルで演奏した。その後、世界の音楽の流行に合わせて私がひげを伸ばし、ジーパンにした。するとかっちゃんは「ノーネクタイでステージに上がるんじゃないよ」と怒っていた。徹底的な人だった。

 1970年のコザ騒動の後、米兵の外出禁止令が出され、店に来なくなった。メシが食えなくなり、彼が怒ってバンド名をコンディショングリーン(米軍の緊急警報状態)にした。そういうところに、彼の米兵に対峙(たいじ)する社会的な物の見方が垣間見える。

 ベトナム戦争中、よく米兵とケンカになった。かっちゃんは暴れる米兵を1人で押さえつけた。ドラムを投げる。ヘビを投げる。アメリカ人をやっつける沖縄人はすごいということで、ヒーローのように人気が出た。

 パフォーマンスは次第に過激になった。靴にビールを入れて飲む。ハブ酒をがぶ飲みする。酒が体調を崩した原因になったのだろう。

 沖縄ロック界を代表する男が亡くなり、一つの時代が終わったように思う。二度と彼のような男は現れない。6月9日(ロックの日)に県内のロックミュージシャンを集め音楽葬で送り出す。 (県音楽文化振興会理事長、談)