うるま市からバスに揺られ、三線片手に那覇市の沖縄県立芸術大学に通う75歳の男性がいる。地元を離れ、大阪で長年システムエンジニアをしていた玉城正智さんは、4月から音楽学部の琉球古典音楽コースで歌三線の勉強に励んでいる。三線はボランティアで指導者を務めていたこともあるが、理論を学び、ゆくゆくは「中学校の音楽教師」を目指す。「音楽は奥が深くてやめられない。基礎をつくりなおして、メロディーの不思議を探求したい」と、夢を追う。
初めて楽器を手にしたのは小学5年。南原小のブラスバンドでトランペットを担当した。思い通りに音を出せず、もっとうまくなりたいと向上心をかき立てられた。与勝中ではブラスバンドの仲間と吹奏楽部を立ち上げさらに練習を重ねたが、「これで将来食っていけるのか」と、次第に自信をなくした。「家が貧乏だった。音楽を仕事にできないなら他のことをして、手に職をつける必要があった」。中学卒業を機に、楽器を置いた。
奨学金を利用して高校、大学に進学した。大学は琉球大で、システムエンジニアになるための勉強をした。募り募った音楽への気持ちを抑えられず、再びトランペットを吹いた。「大学の定期演奏会に出た時のことは今でも忘れられない。最高の思い出なんだ。一緒に演奏した人たちに、今でも会いたいよ」。しかし学費と生活費を稼ぐため、また音楽をやめて、アルバイトに専念しなければならなかった。
卒業後は大阪に移り、定年退職する60歳までシステムエンジニアの仕事を続けた。退職後は学習塾や専門学校の講師などを務め、2018年に沖縄に戻り、高江洲中や与勝中で支援員をした。
まだ大阪にいた39歳、望郷の念から三線を手に取った。「音楽への気持ちを断ち切れなかったんだろう」と振り返る。大正区の沖縄会館近くに住んでいた県出身の夫婦に三線を習い、技術を習得してからはボランティアで20年ほど指導もした。
「やっぱり、音楽はいい。相変わらず才能が乏しいが、音楽を今後のライフワークにしたい。技術を磨きながら、探求したい」。沖縄に帰ることを決めた時から、県立芸大の受験を考えていた。社会人選抜試験を3度目で合格し、4月、晴れて新入生となった。
大学で学ぶ意欲を高めた背景には、高江洲・与勝中での生徒たちとの触れ合いもあった。「若い人たちのみなぎるパワーはすごい。挑戦しようとする力が湧く」。大学でも10~20代の学生と交流することを楽しみにしている。「授業や図書館で学べることとは別に、学生からもいろんなことを学べる。彼らも私も、人生は1回しかないからね。人生経験も生かして、新たな挑戦だよ」。キラキラした目で語り、三線の音を響かせた。
(嘉数陽)