「主権回復式典」とは何だったのか 10年前の祝賀ムードに違和感大きく 県議・県関係国会議員への調査で見えるもの


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「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」で、万歳する出席者ら=2013年4月28日、東京の憲政記念館

 「『主権回復の日』ではなく『屈辱の日』」「祝う気持ちになれない」―。サンフランシスコ講和条約(対日講和条約)が発効し、沖縄では「屈辱の日」として知られる1952年4月28日を記念するとして、安倍晋三政権(当時)が2013年4月28日に開いた「主権回復の日」式典から10年。琉球新報が実施した県議会議員と県選出・出身国会議員アンケートの自由記述では、当時の東京の祝賀ムードに違和感を呈する内容が目立った。

 日本の主権が及ばない排他的管理権が認められる米軍基地が集中することで、沖縄は日本復帰後の今でも主権が回復していないとして、比嘉京子県議(てぃーだ平和ネット)は「主権が回復していないことを反省する日にするべきだ」と指摘した。上里善清県議(同)は「戦後(から復帰まで)27年間、県民の人権は蹂躙(じゅうりん)され続け、県民感情としては屈辱の日であり、主権回復を祝う気持ちにはなれない」と明記した。

 平良昭一県議(おきなわ南風)は「同じ国民でありながら、主権を剥奪された屈辱的な日でもある。その辺を理解・配慮した式典でなければならないのは当然であり、一方的な式典開催を行うべきではない」とした。

 「主権回復の日」式典を主導した自民党の国会議員も違和感を示した。比嘉奈津美参院議員は「沖縄では米国の施政権下に置かれた日との認識もあり、歴史的にも複雑な県民感情があることを全国民にご理解いただきたい」とした。一方、公明党の金城泰邦衆院議員は「沖縄から見た視点と日本本土から見た視点とでは必ずしも一致しない。『屈辱の日』という沖縄の思いは沖縄の人でしか共有できないのではないか。本土の人に同じ思いを完璧に求めるのは無理がある」と冷静な見方を促した。當間盛夫県議(無所属の会)は「過去にとらわれすぎる。前向きな沖縄を議論すべきではないか」と苦言を呈した。
 (梅田正覚)