民力で魅力ある国づくりを 大丈夫か日本 菅原文子さんコラム<美と宝の島を愛し>


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菅原 文子さん

 チューリップが家の周りで自然に増えるのが不思議で、ネットで調べた。球根の分球で増えると思っていたが、初夏のころに種ができ、種でも増えるのだ。うれしい驚きだった。

 うれしくない驚きもあった。高級リゾート軽井沢で開かれたG7外相会議のぜいたくさはあきれもした。そのホテルの休業案内を読んだが、新緑の稼ぎ時、長期間全館貸し切りには、相当な営業補償費が支払われただろう。スーダンの武力衝突、ウクライナ戦争、食料安全保障もテーマだったはずだが、苦難にある人々を思いやる質素さはカケラもなく、飢餓で痩せてゆく子どもたちもいるスーダンを知りながらのごちそう三昧は、どんな味がしただろうか。林芳正外相がまたジョン・レノンを持ち出したが、レノンのメッセージとは真逆のコミュニケの内容で、G7の存在意義は判然としなかった。西欧一辺倒から、アジア、グローバルサウスへと世界の中心が移りつつある変化を感じた。

 議長国になり政権も外務省も張り切るが、メディアがヨイショ報道をするほど国民はG7に盛り上がっていない。いつもの中国敵視、法の支配、人権が話し合われても、それらが完璧ではないのは日本も米国も同じで、沖縄に対し、本土各県とは異質の統治が長年にわたり行われている。フランスだけが独自の路線を見せるのは、さすが政治一流国だと思った。

 何よりG7で大盤振る舞いするほどの金持ち国でしたっけ、この国。違うでしょう。大赤字の危機的な国家財政に打つ手なく、財政出動は膨らむばかりだ。子どもの貧困、物価高、食の自給率の低さ、各種の税、社会保険を漏れなく徴収するための国民監視のマイナンバー制度の強要など、国民の多くは重苦しい不安な日々を送っている。

 先ごろ、岸田文雄首相を銃撃した青年は、能力も社会参加の意欲も持ちながら、政治への深い失望を世に訴える手段を間違えた。国民は銃弾こそ向けないが、政治への不参加、無関心で、渋々、法の支配に従うだけの半身日本人状態の人も多い。結婚や子どもを産むことに消極的なのも、無意識の抵抗かもしれない。

 日本が第2次世界大戦で敗者となったのも、政治二流国だったから。敗者日本が経済大国になれたのは、政治力ではなく、国民の勤勉と努力、能力があったからだ。政治家はそこを勘違いしないでほしい。いまだに明治期、戦前昭和期の国会議員の末えいが大臣になっているが、何と能天気、危機感皆無の国会模様だろう。

 安倍晋三元首相が自信満々、声高に打ち出したアベノミクスは、結局オウンゴールとなり、意図的なオウンゴールだから退場するのがルールだが、その後も安倍派に気遣う人事で仲間内の政治が行われる日本、大丈夫か。

 「捨てられる日本」の著者、世界三大投資家の一人でもあるジム・ロジャースは、愛する日本に厳しい警告を発している。この国を二流国にした政府には期待するな、かつてのように民力で魅力ある国づくりを目指せ、観光、農業、教育にこの国の活路あり、と。まったく同感だが、戦争をすれば農地は荒れ、働き手の命は失われる。日本への留学生を増やすためにも、平和でなければ誰も集まらない。観光もしかりだ。

(本紙客員コラムニスト、辺野古基金共同代表)