「宝の海」に軍港計画 浦添西海岸 反対署名半年で3.3万件


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那覇軍港から離陸するMV22オスプレイ=3月20日午後4時9分、那覇市(喜瀬守昭撮影)

 多様な生き物が息づき「宝の海」として地元住民に親しまれてきた浦添西海岸。大型商業施設の開業などをきっかけに最近は「てぃだ結の浜」の愛称で知られ、週末になると潮干狩りや夕日を楽しむ人の姿が多く見られる。そんな浦添西海岸の景色が一変する計画が現在、日米両政府により進められている。

 4月20日、日米は那覇港湾施設(那覇軍港)の浦添移設に向けた合同委員会で、軍港代替施設をT字形として17施設を整備する計画で合意した。県や那覇、浦添の両市も政府と歩調を合わせて計画を進める方針だが、1972年の復帰時に日米間で交わされた、那覇軍港に関する合意の解釈を巡り意見が対立する。

 在沖米軍施設の使用条件などを定めた5・15メモで、那覇軍港の使用主目的は「港湾施設と貯油所」と記された。ベトナム戦争や湾岸戦争では後方支援拠点として機能したが、近年は艦船の寄港回数の減少などにより「遊休化」が指摘されている。しかし、2021年末ごろからオスプレイの飛来など米軍機を使った訓練がたびたび行われるなど状況は一変した。

 県は5・15メモを根拠に日米に米軍機の飛来中止を求めているが、日米は5・15メモでは航空機の着陸を排除されていないとして容認する方針だ。さらに、防衛省は代替施設で維持するとしている「現有機能」の内容に関しては「答えるのは難しい」と米側に配慮する姿勢を示す。

 74年に県内移設を条件に全面返還が決まった那覇軍港は、95年の日米合同委員会で移設先が那覇港の浦添ふ頭地区に決定した。今回の日米合意により代替施設建設に向けた作業が加速する見通しだが、移設条件となる「現有機能の維持」を巡って、日米と県との認識の隔たりは大きい。

 日米や県などの動きを受け、県民有志が浦添西海岸を守るため昨年11月からオンラインで署名活動を始め、半年余りで3万3千余の署名を集めた。活動の中心メンバーの中村陽輝さん(48)は「移設条件となっている『現有機能の維持』を米軍が守るわけない。新たな軍港には新たな機能が追加される未来しか見えない。辺野古と同じだ。われわれはただ沖縄の海を残したいだけだ」と強調した。 (吉田健一)