bj時代は「雑草」とも呼ばれる 歴代の「レガシー」今に 岸本が語ったチームへの思いとは <キングスBリーグ初制覇・最強の証明>2


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bjリーグで初勝利を飾り、健闘を喜ぶキングスのメンバーら=2007年11月、宜野湾市の沖縄コンベンションセンター

 西地区を6連覇し、初のBリーグの頂点に立った琉球ゴールデンキングス。しかし、結成当初から強かったわけではなかった。bjリーグでは地区最下位からスタートし、「雑草」と呼ばれたこともあった。そこから道を切り開き、たどり着いたBリーグで、東地区以外のチームとして初の栄冠をつかんだ。

 キングスを運営する沖縄バスケットボール株式会社は2006年に設立され、10月にbjリーグに参入が決定した。チーム名は公募から「沖縄アイランダーズ」「琉球キングス」「沖縄ティーダーズ」の3案に絞り込まれ、メール投票の結果、「琉球キングス」が選ばれた。その後、ロゴのカラーを入れた「琉球ゴールデンキングス」で正式決定した。

 07―08シーズンから参戦。ヘルナンド・プラネルズを初代HCとし、澤岻直人、金城茂之、友利健哉、山城吉超、新里智将の県出身選手を含む11人で初めてのシーズンに挑んだが、10勝34敗で西地区最下位に沈んだ。

 2年目は現在のHCである桶谷大を大分ヒートデビルズ(現・愛媛オレンジバイキングス)から招請、前シーズンまで大阪エヴェッサの3連覇に貢献し、後に永久欠番となったジェフ・ニュートンらが入団した。西地区1位となり、初めてのリーグ制覇を達成した。桶谷以降も遠山向人、伊佐勉がHCを務め、選手も入れ替わりながらもbjリーグ最多の4度目の優勝を果たした。

 16―17シーズンは、bjリーグがナショナルリーグ(NBL)と統合され、Bリーグがスタートした。歴史的な開幕戦はbj最後の王者・キングスとNBL王者のアルバルク東京が対戦。キングスを「雑草」、A東京を「エリート」と称した試合は2連敗。その後も実業団の流れをくみ、多くの日本代表選手が所属していたNBL出身のチームに力の差を見せつけられ、西地区2位、CSも準々決勝で敗れた。しかし、17―18シーズンからは西地区で6連覇を果たし、今回の優勝につながっている。

 Bリーグになってからは伊佐、佐々宜央、藤田弘輝、現在の桶谷と4人のHCがそれぞれのカラーで指揮してきた。伊佐はbj時代から「人とボールが動き続けるバスケ」を掲げ、個に頼らないチーム作りを進めた。佐々は強度の高い守備意識、足を使って激しくプレッシャーを与えるハードワークを植え付けた。藤田は守備の強度を維持しながら、より攻撃的にボールを動かすバスケットを展開。現在の桶谷は、インサイドを重視し、今季掲げた「ポジションレス」で攻めるチームに育てた。

 HCだけでなく、選手も多く入れ替わってきた。並里成や津山尚大ら多くの県出身の選手も在籍したが、現在はキングス一筋11年目の岸本隆一だけとなった。岸本は決勝進出を決めたCS準決勝後の記者会見でぽつりと語った。「自分が残って、長くプレーするからには責任持ってプレーしなきゃと思っている。何よりも優勝という形で結果を出していくことに意味がある。一緒に戦ってきたチームメート、コーチ陣やスタッフの気持ちを必ず形に変えたい」

 歴代のHCや選手たちのレガシーは形を変えながらも残り、この後、初優勝という形になっていく。

(屋嘉部長将)
(敬称略、随時掲載)