【評伝・ダニエル・エルズバーグ氏】 ベトナム、沖縄 真実問う ペンタゴン・ペーパーズ暴露


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ダニエル・エルズバーグ氏(共同通信)

 ベトナム戦争を巡る米国防総省の秘密文書「ペンタゴン・ペーパーズ」を1970年代に暴露したことで知られ、16日に92歳で死去したダニエル・エルズバーグ氏は、58年の第2次台湾海峡危機に際し米政府内で議論された中国本土への核攻撃に関する文書も入手し、その意義を世に問うた。市民が真実を知る意味を重んじ、刑事訴追の恐れも顧みず行動した信念の人だった。

 ニューヨーク・タイムズ紙は2021年5月、エルズバーグ氏がペンタゴン・ペーパーズと一緒に入手した機密文書を基に、危機当時に米軍幹部の間で交わされた中国本土への核兵器使用を巡る議論の内幕を報じた。

 中国の空軍基地に核爆弾を投下する案が俎上(そじょう)に上り、米統合参謀本部議長は中国側がそれで手を引かなければ「上海に至るまで核攻撃を仕掛ける他に手はない」と発言。一方で台湾への報復攻撃は避けられず、沖縄が標的になる恐れもあるとの認識を示したとされる。

 21年には90歳を迎えていたエルズバーグ氏。司法省がスパイ防止法を使って情報提供者への締め付けを強める中、台湾危機に関する機密文書を社会に知らしめるために行動した裏には、自らが刑事被告人になってでも政府の姿勢を問わんとする狙いがあった。

 エルズバーグ氏に大きな転機をもたらしたのは、ベトナム戦争での体験だ。

 65年にサイゴン(現ホーチミン)へ赴き、ジャングルや村落の巡回に同行。ふくれあがる市民の犠牲、拷問を受けた捕虜、焼き払われた村々―。そこでは数々の残虐行為が「作戦」の一環として報告書に記載された。

 69年、約7千ページに及ぶペンタゴン・ペーパーズをコピーしたのは、それがたとえ不正行為だったとしても戦争終結を早められると考えたためだ。71年に文書をニューヨーク・タイムズ記者にもたらし、スクープは反戦運動を大きく勢いづけた。

 今年3月、膵臓(すいぞう)の末期がんで医師から余命3~6カ月との診断を受けたことを公表。半生を振り返り、秘密文書の暴露で覚悟した終身刑を免れ、その年月を「核戦争の危険性を世界に知らしめる活動にささげることができた」とつづっていた。

(ロサンゼルス共同=大倉喬之)
(共同通信)