【識者評論】語られなかった「敵基地」、県民の命を守るのは誰なのか 佐藤学氏(沖縄国際大教授)


この記事を書いた人 琉球新報社
沖縄全戦没者追悼式典会場に到着した岸田文雄首相(右)をエスコートする玉城デニー知事=23日午前11時48分、糸満市摩文仁の平和祈念公園(ジャン松元撮影)

 

 

 今年の沖縄全戦没者追悼式は4年ぶりの一般開催となり、多くの参列者を前に玉城デニー知事、岸田文雄首相が登壇し、言葉を述べた。終わらない戦後処理や今も続く過重な基地負担、そして「台湾有事」を前提に進む南西諸島の防衛強化など、沖縄は常に軍事的な重圧を抱え、本来の平和からは遠い状況がある。基地問題を巡って対立する国と県の関係の在り方も問われている。外交や安全保障、そして自治の観点を巡り、知事や首相の言動から何が読み取れるのか。沖縄国際大の佐藤学教授(政治学)の見方を聞く。

 

 

 

 

 

佐藤学氏

 今年の沖縄全戦没者追悼式には、昨年までと異なる意味がある。昨年12月の安保関連3文書の閣議決定後、日本社会は急速に戦時体制に突き進んでいる。防衛予算大幅増と敵基地攻撃能力保持が決められ、日本の世論はそれを受け入れている。

 「敵基地」に向けて自衛隊のミサイル基地が建設されるのは、宮古、石垣、与那国の県内島しょである。その事実が、岸田文雄首相のあいさつでは触れられず、玉城デニー知事の平和宣言にも具体的な言及がない。従前の「基地問題」、すなわち米軍基地の過重負担の「軽減」(首相)と、「辺野古新基地建設断念」(知事)は挙げられている。

 しかし、沖縄にとり現在喫緊の「問題」は、対中軍事衝突の最前線に立たされる具体的な危機ではないか。首相がそれに触れない中、知事は島々へのミサイル配備に反対を明言すべきであった。

 翁長雄志前知事以来の「オール沖縄」は、安保と自衛隊を容認してきた。過大な抑止力を負担している現状をない物として自衛隊ミサイル基地は配備が進む。到底許されるべきではない。

 県の独自外交の展開に加え、県自らが軍拡に異議を唱えねば、国家の軍事政策の下で、誰も県民の命を重要に扱わない。

 「戦争の惨禍を二度と繰り返さない強い決意」(首相)や「二度と沖縄を戦場にしてはならない決意」(知事)を県民が新たにすべき時である。