「夢はパラ出場」沖縄県勢初の日本代表・宮本、国際大会で優勝つかむ 知的障がいバスケ


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トレーニングに励む宮本梨々奈(中央)と新垣貴大パラスポーツトレーナー(右)=6月20日、南風原町(名波一樹撮影)

 知的障がい者の国際競技大会、ヴィシー2023Virtusグローバルゲームズ(6月4~10日)がフランスのヴィシーで開かれ、3人制バスケットボールに宮本梨々奈(19)=伊良波中、やえせ高等支援学校出=が県勢初の日本代表として出場し、優勝をつかみ取った。フランスやオーストラリアといった海外の代表選手を相手に、持ち味のスピーディーなカットイン、距離のあるシュートで躍動した。パラリンピックでは知的障がいバスケが採用されておらず、Virtusグローバルゲームズは知的障がい者競技では最大規模の国際大会だ。世界戦を終えた宮本は、「(パラリンピックに)バスケが復活したら、出場を目指したい」と希望を語った。

■コロナ禍で苦戦

 現在はサンエーに勤めながら県FID(知的障がい者)バスケットボール連盟の練習に週1回参加する。バスケを始めたのは中学3年の夏だ。バレー部を引退し、県FIDの多和田真樹監督の下で練習に参加した。ドリブルの感覚や、シュートが入って「楽しい」と感じ、次の週にはクラブに入った。

 バスケを始めて1年半が過ぎた頃、高校2年生の時からコロナ禍に巻き込まれた。練習や公式戦がなくなったこともある。知的障がいスポーツの公式戦は元々少ない。クラブチームの全国大会も県外で開かれているが、支援の少ない状況で県外へ行くのは簡単ではない。

 以前は多和田監督が独自で健常者チームと県FIDとの交流大会を県内で開いていたが、コロナ禍によってそれもなくなってしまった。モチベーションが下がり、チームを離れる仲間もいた。

■周囲に支えられ

 宮本もまた、一度はコートから遠のいた時期があった。大会の取りやめでモチベーションは下がる一方。自分自身とも向き合えなくなり、練習の参加頻度が減った。そんな宮本を鼓舞し支えたのは、多和田監督や新垣貴大パラスポーツトレーナー、母親の憲子さんやチームメートだった。

 宮本がコートから離れても、多和田監督は叱咤激励(しったげきれい)し、憲子さんは寄り添った。新垣氏はトレーナーとして、キャプテンをはじめとするチームメートも宮本を支え続けた。多くの人の声援を背に、宮本は1人でも坂道ダッシュや自主トレーニングをし、再び前を向くようになった。

■「大きな経験に」

 力を伸ばして今年4月、宮本の元に日本代表選出の知らせが訪れた。「みんな喜んでくれてうれしかった」。世界戦に向けた県外での合宿では、当たり負けしてしまう、という課題も見つかった。

 迎えた世界戦では、ボールを手にしても戸惑いから攻撃に迷いが生じる事もあった。それでもディフェンスでは体格差をものともせず、積極的にプレッシャーをかけた。決勝戦ではオーストラリア代表を相手に最後までコートに立ち続け、世界王座を手にした。

優勝しメダルを手にする宮本梨々奈(前列左から3人目)ら女子日本代表(日本FIDバスケットボール連盟提供)

 試合を振り返って「課題も克服し、大きな経験になった」と手応えをつかんだ。次の大会は10月の鹿児島国体だ。「エースとしてみんなを引っ張らないと」と意気込んだ。県代表エースとして、そして日本代表として、パラリンピックを見据えて鍛練を重ねる。

 (名波一樹)