prime

腎臓移植・上 よみがえった記憶<佐藤優のウチナー評論>


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
佐藤優氏

 前回の本コラムで若干述べたが、筆者は6月27日に東京女子医科大学附属病院(以下、女子医大)で腎臓移植手術を受けた。手術は成功した。腎移植には、健康な親族が腎臓を提供する生体腎移植と、脳死または心肺停止後の他人からの献腎移植がある。筆者の場合は生体腎移植でドナーは妻だ。術後の妻の状態も良好で、既に退院して自宅で静養している。

 女子医大の優れた医療チームが同伴してくれなければ、ここまでたどり着くことはできなかったと感謝している。この経緯については筆者と女子医大の腎臓内科医・片岡浩史先生との共著「教養としての病」(集英社インターナショナル新書)に詳しく記した。

 ちなみに片岡先生の前の主治医は、沖縄市出身の潮平俊治先生(現しおひら内科・腎クリニック院長)だった。この機会に潮平先生にも深く感謝申し上げる。

 女子医大は腎移植において圧倒的優位を維持している。2021年度の腎移植実績は、日本全体で1773(生体腎1648、献腎125)であるが、そのうち女子医大の泌尿器科が145(生体腎139、献腎6)、腎臓小児科4(生体腎3、献腎1)を実施した。筆者の執刀に当たったのは泌尿器科移植管理科の石田英樹教授をトップとする9人の医師と3人の看護師からなる医療チームだ。石田先生は30年以上、腎移植に従事しているこの道の第一人者だ。

 チームの医師たちから事前に手術のリスク、手術後起き得ることについて詳しい説明があった。その説明も形式的に文章を読むのではなく、筆者とのコミュニケーションを重視するというスタイルで、とても満足した。今月3日から免疫抑制剤の副反応で激しい下痢が起きた。血液検査で、かなり高い炎症反応値が出たので、同日、CTを撮影すると腹膜の縫合部が切れていて、その辺りから炎症が起きているとのことだった。血液培養の結果、菌が出てきた(菌血症、放置しておくと敗血症になる)。

 医療チームは、検査結果が出る前から、抗生剤の点滴投与を始めた。もっとも自覚症状は、下痢以外何もない。下痢も5日には治まった。いずれも医療チームから事前に伝えられていたリスクなので想定外のことは一度もなかった。特筆しておきたいのは、術後も今も痛みを全く感じていないことだ。麻酔医の菊地萌衣先生の見事な疼痛(とうつう)対策のおかげだ。感謝している。筆者は22年1月に透析導入になったが、現在の体感はその3年前、19年初めのころに戻っている。

 腎移植手術は全身麻酔で行われる。去年3月10日に前立腺全摘手術をしたのに続いて2回目だ。前回は麻酔のガスを吸った瞬間にブラックアウトして、手術の間の記憶は全くない。今回は違う。数回深呼吸して、手術室の時計が午前9時22分を指すところまでは明確に記憶がある。その後、「佐藤さん、終わりましたよ」と声をかけられたので目を覚ますと時計は午後3時7分を指していた。

 その間、筆者は別の世界を旅していた。過去の人生であった全ての出来事の記憶が解凍されてよみがえってきた。例えば、幼稚園から小学校低学年の頃、両親と妹(2歳年下)と家の側(そば)の見沼代用水東縁(埼玉県さいたま市)に遊びに行ったことだ。母(佐藤安枝、旧姓上江洲)は見沼用水を散歩すると、故郷の久米島西銘の小川を思い出すという。

(この項、続く)

(作家・元外務省主任分析官)