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腎臓移植・下 沖縄を戦場にしない<佐藤優のウチナー評論>


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佐藤優氏

 6月27日に行った腎臓移植手術で全身麻酔中に筆者が別の世界を旅した話の続きだ。この時の記憶では、過去の出来事だけでなく、明らかに未来と思われる奇妙な情景も浮かんだ。例えば、同志社大神学部と同大学院神学研究科に筆者が論文を指導した男子学生の結婚披露宴に出て、筆者がスピーチをしている様子だ。

 沖縄との関係では、大学で講義をしている情景が浮かんできた。教室は、名護市の公立名桜大学だ。ロの字型に並べた机で、ゼミナールを行っている。十数人の学生が参加しているが、筆者が知っている人はいない。筆者はウクライナ戦争について学生に話している(去年2月ウクライナ戦争が始まってから、筆者は沖縄を訪れたことがない。この情景は幻想か、あるいは、今後、筆者が話したいと思っていることを先取りしているのかもしれない)。

 ウクライナのルハンスク州、ドネツク州、ザポロジエ州、ヘルソン州の人たちは、日常的にロシア語を話し、ロシア正教を信じている。自分がロシア人かウクライナ人か深く考えたことはない。それがこの戦争でウクライナ人かロシア人のどちらかを選択せざるを得ないような状況に追い込まれた。家族や友人でも、選んだ民族が異なる場合、互いに殺し合わなくてはならないような状況に追い込まれた。

 沖縄にとって、これは他人事ではない。沖縄人は、普段、自分が沖縄人か日本人かについて突き詰めて考えることはない。突き詰めて考えないでいいという状況は決して悪いことではない。しかし、ウクライナ戦争との絡みで、台湾有事をあおりたてる日本の勇ましい人たちの影響力が強まると、このまま日本人の都合に付き合っていると、沖縄は大変なことに巻き込まれるのではないかと不安になってくる。

 日本人の一部は、「中国に日本が侵略されてもいいのか。日本のため、自由と民主主義のためにお前たちも戦え」と沖縄人に押しつけてくる。冗談じゃない。戦いたいならばお前たちが行け。沖縄を巻き込むな。お前たちの都合で1945年にわれわれの父母の世代、祖父母の世代がどういう目に遭ったと思っているんだ。沖縄の地をどのような理由があっても戦場にしないというのが、沖縄人のアイデンティティーを構築している。日本の勇ましい人たちには、どうもこの現実が見えていないようだ。

 僕の母親は沖縄人だが、父親は日本人だ。僕個人にとっては、母の国と父の国が一つであった方がいい。ただし、沖縄と日本の利害が死活的に対立する場合、僕は沖縄を選ぶ。これは理屈ではない。僕にとって自然な感覚だからだ。

 客観的に見れば、麻酔の作用によって見た幻覚なのであろう。しかし筆者には過去にあった出来事と同等のリアリティーを持つ。新約聖書に「ヨハネの黙示録」という書がある。ギリシアのパトモス島で、ヨハネが未来に起きる事件について見た幻を記録したものだ。宗教的には、筆者の体験もそれに似ているのかもしれない。あるいは潜在意識で筆者が思っていたことが腎移植手術という個人的大事件に直面して、顕在化したのかもしれない。

  (この項、終わり)

(作家・元外務省主任分析官)