東京五輪の空手男子個人形で金メダルを獲得し、今春、現役を引退した喜友名諒氏と師匠の佐久本嗣男氏(劉衛流空手古武道龍鳳会会長)がこのほど、「五輪の舞台裏と沖縄空手発展の方策」をテーマに師弟対談をした。世界選手権4連覇、全日本選手権10連覇と数々の偉業を成し遂げた喜友名氏と、同氏らを厳しい稽古で鍛え上げた元世界王者の佐久本氏が舞台裏を振り返り、空手に注ぐ熱い情熱と沖縄の伝統空手の発展に向けた思いを語り合った。職業人の社会奉仕団体「那覇ロータリークラブ」(亀川偉作会長、1959年設立)の3千回記念例会の特別企画として、5月23日に那覇市のパシフィックホテル沖縄で催された。
<五輪の舞台裏>鍛錬、情熱で偉業到達
―喜友名さんは五輪日本選手団で金メダル最有力とされていた。どう本番に備えたか。
佐久本 日の丸を背負う母国開催の東京五輪で負けるわけにはいかない。喜友名には強いプレッシャーがあった。集中して練習できる環境を整えるため、私が嫌われ役を買った。メディアには横柄な監督に映ったと思う。個別取材は一切受けず、取材機会を限定した。協力してくれたメディアにはとても感謝している。
―河瀬直美監督の東京五輪公式記録映画で、金メダルを獲得した日本人選手の故郷を追加撮影したのは沖縄だけだった。それほど県民の喜びは大きかった。優勝が決まった瞬間の思いを聞きたい。
喜友名 旗が上がった瞬間、感謝の気持ちしか湧かなかった。それまでやってきたことが全て頭の中で駆け巡った。佐久本先生、先輩方が劉衛流をつないできたおかげで私も鍛錬できた。ずっと隣で稽古する仲間もいた。空手に関わっていない多くの県民からも「頑張れ」と声をかけてもらい、母親、家族のサポートもあった。五輪の舞台で結果を残せてよかった。演武の際も恩返しの気持ちがとても強かった。
―東京五輪で初めてセコンドについた喜友名選手の演武はどうだったか。
佐久本 喜友名の成長、これまでの苦労をかみしめながら、間近で演武を見ていた。1年365日、毎日3時間の稽古を休まず続けてきた。喜友名は全く手抜きせず、何事にもとにかく全力で立ち向かう。前向きで素直な「努力の天才」は探究心も旺盛で、教えていて気持ちがいい。それは現役引退後も変わらない。弟子たちに支えられて私も五輪の舞台に立てた。心から感謝している。
―表彰式で、母紀江さんの遺影を奥ゆかしく掲げた場面は多くの人を感動させた。
喜友名 写真を会場に持っていくことを悩んだが、佐久本先生から「持っていきなさい」と言ってもらった。先生に促され、一番いい場所で母にオリンピックの景色を見せることができた。空手を続けてこられたのは母の存在が一番大きかった。深く感謝している。
<稽古と仲間>
切磋琢磨が原動力 喜友名氏
和の心持ち続ける 佐久本氏
―喜友名さんは最も印象に残った試合として、団体形で初めて世界一になった2016年の世界選手権を挙げている。選手同士の絆について聞きたい。
佐久本 一緒に稽古する弟子が12人いる。国内外に出張に出ても、LINE(ライン)で意思疎通できる時代にもなった。喜友名、上村拓也、金城新の3人の団体形には「常に和の心を持ち続けろ」と指導してきた。持ちつ持たれつ、足りないところを補い合って高めていけと。和を大事に努力を惜しまなければ開花することを実践した、素晴らしい弟子たちに恵まれた。
喜友名 金城、上村は年下だが、人間性が素晴らしい。教えられることが多く、尊敬している。鍛錬し合い、チームで壁を乗り越えて団体金にたどり着けた。東京五輪個人形の金も、3人の切磋琢磨(せっさたくま)が原動力だと思う。
―佐久本さんは世界大会で形7連覇を果たしたが、ポスターに起用された1987年の海邦国体の県代表は落選した。つらい経験をどう克服したか。
佐久本 母の教育もあり、私は根っからの負けず嫌い。世界の舞台は7度優勝したが、県内では6連敗し、一度も優勝できなかった。悔しかったが、自分の実力が足りなかった。県内は6敗だが、世界では1回多く勝ったと今は割り切れるようになった。「念ずれば花開く」という言葉がある。伝統文化としての空手を多くの県民が支えてくれ、沖縄に生まれてよかったと心底思っている。今75歳で毎日稽古しているが、100歳までできるように頑張りたい。
―師匠の佐久本さんはどんな存在か。
喜友名 神様のような存在で怖さもあるが、たっぷり愛情を注いでもらっているので、教え子はずっとついていける。いつまでも挑戦し続ける先生の姿から学び、成長していきたい。
<発展の方策>
恒久平和の手段に 佐久本氏
環境づくりへ行動 喜友名氏
―沖縄空手の発展に向けた考えを聞きたい。
佐久本 喜友名は世界の選手を代表し、意見を言う立場にもなった。空手は世界で1億3千万人が打ち込んでいる。空手はわれわれにとって手段であり、空手自体は目的ではない。空手を通して国際交流、異文化の相互理解を図り、世界の恒久平和につなげたい。沖縄の伝統空手の根幹にある精神を世界に広め、沖縄の文化にも親しみを持ってもらう先頭に立つ喜友名を応援してほしい。
沖縄県の空手振興ビジョンの大きな柱は(1)伝統空手の継承(2)競技空手の推進(3)空手のブランド化―だ。県立芸大に空手専科を創設し、ビジョン達成の足掛かりにしたい思いもある。
喜友名 沖縄発祥の空手をずっと継承したい。多くの子どもたちが空手に触れ、打ち込める環境をどうつくるか。われわれの世代が空手を将来につなぐ方策を考え、行動していきたい。
(まとめ・松元剛)