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琉米・琉仏・琉蘭3条約 レプリカで記憶再生を<佐藤優のウチナー評論>


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
佐藤優氏

 実はこの原稿も病室で書いている。腎移植手術は成功したが、腹膜の縫合部が少し破れた話はこのコラムで既に伝えた。15日に退院の予定で、13日には荷物も自宅に送った。その日の夜、容体が急変した。ひどい吐き気と胃痛に悩まされた。翌14日早朝、CTを取ると腹膜の破れた箇所に小腸が挟まり、腸閉塞を起こしていることが判明した。3時間強の緊急手術(全身麻酔、開腹手術)になった。この手術も成功し、今は元気にしてる。東京女子医大の優れた医療チームの迅速な判断と優れた技術で再び命拾いした。

 入院中は電子版で毎日、「琉球新報」を丁寧に読んでいた。わくわくしながら読んだのは玉城デニー知事の中国訪問だ。尖閣問題に玉城知事が触れなかったのは賢明と思う。

 <尖閣問題について発言をしなかったことについて、訪中団の主目的が経済・観光の交流促進だったとして「先方から一言も(尖閣の)話が出なかった。今回のテーマではないことが明らかで、だからこそ経済の課題について具体的な話に進んでいった」と振り返った。「尖閣などの国境に関する問題は国と国との建設的、安定的な対話による信頼関係を構築しながら、互いに問題解決に向けて平和的な環境を構築しつつ進めてほしいと思う」と話した>(8日本紙電子版)。

 尖閣問題に触れなかったことを批判する日本人に筆者が述べたいのは、「そういう文句を付けるならば沖縄に外交権をよこせ」ということに尽きる。ならば尖閣問題については習近平中国国家主席と辺野古新基地建設問題についてはバイデン米大統領と玉城知事が直接交渉する。

 筆者にとって、最も印象的だったのは玉城知事が琉球館を訪問したことだ。

 <福州市の琉球館などを視察したことに触れ「中国から琉球王国を安定的に存続させることに大きな協力を得られていた。子どもたちが県民としてそれを学べるような環境をつくっていくべきだと感じた」と話した>(前掲本紙)。

 われわれ沖縄人が琉球王国という沖縄人国家を形成していた記憶を喚起する重要な訪問だ。近代的な国際法の枠組みで考えても、琉球王国は1854年に琉米修好条約、1855年に琉仏修好条約、1859年に琉蘭修好条約を結んでいる。当時の列強であるアメリカ、フランス、オランダから琉球王国は国際法の主体として認められているのだ。特に琉米修好条約については米議会で批准され、米大統領が公布している。この沖縄にとって「国宝」というべき3条約文書は「琉球処分」(沖縄の廃藩置県)のどさくさの際に東京に持ち去られ、現在は外務省外交史料館に保管されている。筆者はこの3文書はいつの日か、沖縄に返還されるのが筋と考えている。

 琉球新報社に提案がある。沖縄が国際法の主体であったことを示すレプリカ(複製)を作成して販売することを検討していただけないだろうか。原文は漢文(中国語)と英語、フランス語、オランダ語なので付録で翻訳も必要だ。このレプリカが沖縄人の間に普及すると、われわれが近代国際法の主体である国家を持っていたという記憶が可視化される。沖縄人の先輩たちが帝国主義列強に対して、知恵で闘って、沖縄人共同体の利益を守った。この歴史の記憶を21世紀によみがえらせることは、沖縄の自己決定権強化に資すると思う。

(作家・元外務省主任分析官)