「核時代」という暦 絶滅兵器、使わせてならぬ <おきなわ巡考記>


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 宜野湾市の佐喜眞美術館が作成する文書には西暦に加えて独自の暦が記してある。今年の表記は「2023年(核時代78年)」だ。なぜ、この暦を使うのか。

 美術館は、館長の佐喜眞道夫さん(77)が在日米軍海兵隊の普天間飛行場に組み込まれた土地を粘り強い交渉で返還させて造った。丸木位里・俊夫妻の大作「沖縄戦の図」を常設展示し、5月から来年1月末までは、その全14部作を特別展示している。「沖縄戦の図」のほか、丸木夫妻は核の恐ろしさを描いた「原爆の図」も合わせて戦争と向き合い、生前、佐喜眞さんにこう語った。「あの戦争を、責任ある大人として食い止めることができなかった私たちは、地獄に落ちて当然なんですよ」。

 美術館を取り巻くフェンスの向こうでは、戦争に備えた訓練が続く。それを目にすると、夫妻の贖罪(しょくざい)意識は、時間の向こうに遠のいていく∧いくさ∨への思いだけではなく、「いま」と「これから」に近づいてくる核戦争への警告だったとも想像できる。

 作品を解説し、夫妻の胸の内を来館者に紹介するうち、佐喜眞さんに地球規模の「いま、そこにある核危機」を沖縄の「命どぅ宝」の心で克服したい、という強い気持ちが湧いてきた。時代を「核時代○年」と捉えることで「戦後○年」では見えにくい現実の脅威を感じることができる。核廃絶に向かうのだ、という平和への意志にもつながる。

 佐喜眞さんが独自の暦を使い始めたのは、1994年の開館から数年後。95年には、ソ連崩壊(91年)後のロシアに残った核兵器の危険性が指摘され、98年にはインドとパキスタンが核兵器の保有を宣言した。米国の雑誌「原子力科学者会報」の「世界終末時計」が核戦争による地球と人類の絶滅まで「あと9分」を示していた。

 47年に考え出された「世界終末時計」は仮想の時計だ。毎年の核状況を踏まえ、45分から絶滅に設定した60分=零分までの15分間の残り時間で、時計の針を進めたり戻したりする。ちなみに今年はウクライナでの戦争で核リスクがいっそう高まったとして絶滅まで「あと1分30秒」という。

 稼働中の時計もある。広島市の広島平和記念資料館内に設置されている。2001年8月6日に除幕し、「地球平和監視時計」と呼ばれる。約3メートルの御影石に、丸形のアナログ時計と二つの日数カウンターが上から並んではめ込まれた時計塔で、時計の文字盤には「8時15分」(広島への原爆投下時間)が刻まれ、カウンターの一つはその投下からの日数、もう一つは「最後の核実験」からの日数を示す。

 今年5月19日から広島市でG7サミットが開かれた。その日は広島への原爆投下から2万8410日で、「最後の核実験」(米国による32回目の臨界前核実験)から610日だった。「地球平和監視時計」が設置・除幕されて以後の22年間で、核を持つ各国による核実験の間隔が最も長く空いたのは、06年~09年にかけてのわずか959日。「核時代」の人類は、繰り返される核実験に慣らされ、唯一の戦争被爆国の日本でも「核には核で」と核保有が一部で語られる。

 だが、それでいいのか。絶滅兵器を使う愚に陥ってはならぬ。「核時代」という暦は、日々、警鐘を鳴らし続けている。

(藤原健、元毎日新聞大阪本社編集局長、那覇市在住)